A-6イントルーダーとは、アメリカ海軍が使用した艦上攻撃機である。
ここでは派生型のEA-6についても触れることにする。
概要
A-6の開発はかなり古く、朝鮮戦争直後までにさかのぼる。朝鮮戦争での戦訓を受けて艦上攻撃機のプランが提出された。全天候型、大量の兵装積載能力、精密攻撃能力の三点を満たすためにグラマン社(現ノースロップ・グラマン社)が開発したのがA-6イントルーダーである。1960年に初飛行。実戦参加は1963年のベトナム戦争を最初に、冷戦時代からその後の湾岸戦争に至るまでアメリカがかかわった戦闘のほとんどすべてに参加しているといっても過言ではない。
機体形状は後退翼・双発エンジン。悪天候でも飛行・攻撃、そして精密攻撃を可能とするため大型のレーダーを必要とし、これを搭載したため必然と機体胴体部は幅広となる。よってパイロットは並列複座型という形となる。同様の形式をとるのはF-111や時代を経てSu-34でしかみられない。
ただし、どうも割り切りすぎた設計なのか、固定武装は何ももっておらず自己の防衛手段としてサイドワインダーが使用できるようになったA-6E型になるまで、電子抵抗手段(ECM)やチャフ、フレアなどといった手段でしか敵の攻撃に対応できなかったが、水平旋回能力は高く、ベトナム戦争中にMiG-21をドックファイトで追いつめた事例(丸腰だったので当然撃墜できなかったが)や戦闘機が足りない分A-6にサイドワインダーを積んでMiGCAPに投入された例も存在する
電子装備も当時の技術力では当然要望を満たせることなく、初の実戦参加になったベトナム戦争ではあまり効果的ではなかったといわれるが、その後何度かのアップデートを繰り返した。ベトナム戦争以降はリビア爆撃や湾岸戦争でそのポテンシャルをいかんなく発揮し、戦果をあげた。
艦上運用機としては程よいサイズの中型機で搭載量も大きかったため、派生型が誕生した。K-6Dと呼ばれる空中給油型、そしてEA-6と呼ばれる電子戦機である。
EA-6A/EA-6B
米海兵隊がEF-10Bの後継機としてEA-6Aを導入し、1966年からベトナム戦争に投入した。米海軍は1971年にEA-6Bを投入したが、それまでは攻撃隊に随伴できる電子戦機を欠いたままだった。
EA-6AはALQ-76CW妨害ポッド(主翼と胴体下に計5本搭載)と、ALQ-86ECM監視収集装置(30個のアンテナを持つパッシブ探知装置で、敵レーダーの監視、分析、標定に使う)を搭載していた。乗員はパイロットとEWO(電子戦士官)各1名だったが、EWOはノイズ妨害発振器20個(ALQ-76ポッドには4個の発振器がある)をマニュアルで操作しつつ、ALQ-55通信妨害装置も操作しなければならなかった。この点が考慮されたのか、海軍のEA-6Bではパイロット1名、EWOが3名という構成になった。[1]
EA-6Bプラウラーはアメリカ海軍と海兵隊の電子戦機としてA-6Eを基に開発された。AN/ALQ-99戦術ジャミングシステムを搭載する。ジャミングシステムの捜索受信アンテナは垂直尾翼先端のフェアリング内に収められ、ジャミングは5基の外部搭載ポッドで行なわれる。各ポッドは先端の風車(ラムエア・タービン)から電力を得てジャミングを行う。乗員は4名に増え、左前席がパイロット、右前席が航法、通信、自衛用ECM、チャフ/フレア散布を担当するECM士官、後席2名が敵性電波の探知、識別、ジャミング装置の操作、モニターを行うECM士官になる。[2]
その後、後継機としてスーパーホーネットを基にしたEA-18Gが開発され、米海軍は2015年にEA-6BからEA-18Gへの置き換えを完了した。海兵隊は2019年3月に最後のEA-6B飛行隊を解隊したが、今のところEA-18Gの調達は予定しておらず、電子戦についてはF-35Bが役割を担うほか、海軍のEA-18Gのサポートも受ける。[3]
関連動画
関連項目
脚注
- *「兵器最先端6 電子戦力 エレクトロニクスの戦い」 読売新聞社編 1986 pp.32-33
- *「イラストレイテッド・ガイド1 現代の戦闘機」ビル・ガンストン 1988
- *最後のEA-6B飛行隊が解隊 プラウラーが米軍から退役 2019.3.11
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