張献忠
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ななしのよっしん
2024/03/02(土) 19:45:48 ID: M/wSYZMeM2
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ななしのよっしん
2024/10/08(火) 00:10:12 ID: 8FX6OxNp67
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ななしのよっしん
2024/10/14(月) 18:16:22 ID: 0gANPvC48U
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ななしのよっしん
2024/11/15(金) 20:31:23 ID: JZPkhrE28x
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ななしのよっしん
2024/11/20(水) 06:38:54 ID: HAuS3DoXZT
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ななしのよっしん
2025/03/25(火) 00:32:00 ID: Fmc78/tbSf
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ふらりと読み返したが、やっぱりこの記事直したいなあ。
要点
・歴史学の主流の見解に沿わない。中国の文革的史観に間接的であれ影響を受けているだろう。
・『蜀碧』以外の史料、特に同時代の史料、清朝側に拠らない史料群を完全に無視している。
・『七殺碑』を清朝が流布したというのは特に根拠がない。
・また、『蜀碧』を否定しながら、『七殺碑』の元の碑文(聖諭碑)の根拠がまさに『蜀碧』や、他の屠蜀を伝える史料に拠ることを無視し、その文脈を読まず、「民衆教化のために立てた碑文」と素朴に扱っている。
・魯迅の言は『晨涼漫記』の引用と見えるが、その記述が引用後の主張にどう繋がるかは何も分からないし、魯迅は絶対にそんな意で言っていない。吶喊の序を読もう。
・「抵抗されたという理由で揚州に住んでいた人たちを皆殺しにしたという実績があるので、蜀でも同じようなことをしなかった訳がない」は流石に杜撰。揚州虐殺自体も皆殺しでは(恐らく)ない。
屠蜀は史料と証拠には事欠かんし、その主犯と主因を張献忠と見るのは歴史学の基本的な見解だろう
その中核事象と、相関し連鎖する当時の四川の惨劇をどこに線が引けるかに問題がある -
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ななしのよっしん
2025/07/28(月) 22:31:44 ID: CW7uHBQ5R8
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