アントニオ・コバス
とは、MotoGPのシャーシデザイナーである。
JJ Cobas(ホタホタコバス)というブランド名のマシンを作り、MotoGPの125ccクラスや250ccクラスを走らせていた。
1992年からはポンス・レーシングの技術的指導者となり、ラモン・フォルカダやラモン・アウリンといった技術者を育て上げている。
1952年1月29日にスペイン・カタルーニャ州バルセロナで生まれた。
1970年代後半からレース用バイクの開発で有名になっており、1978年からシロコ(Siroko)というメーカーから自分の設計したシャーシを売り出していた。
1982年には自分の名前でシャーシを売り始め、そのシャーシを使ったマシンに乗るシト・ポンス
がMotoGP250ccクラスで3位表彰台を獲得した。1983年にはJJコバス(ホタホタコバス)という会社を立ち上げてバイクを販売するようになり、1984年にシト・ポンスがJJコバスのバイクでMotoGP250ccクラスで優勝している。
1989年にはMotoGP125ccクラスでアレックス・クリヴィーレ
がJJコバスのバイクに乗っており、見事にチャンピオンを獲得した。
現在の舗装路面レース用バイクはアルミ・ツインスパーフレーム(アルミで作られた剛性の高いフレーム)
が主流なのだが、史上初めてアルミ・ツインスパーフレームを開発したのはアントニオ・コバスである。コバスの作ったシャーシを日本の大メーカーが真似ていったのであり、コバスはバイクの歴史に名を刻む天才技術者だと言える。
1991年をもって、シト・ポンス
というライダーが現役を引退した。
彼は1988年と1989年の2年連続でMotoGP250ccクラスチャンピオンになっており、まさしく国民的英雄で、スペイン国王から電話で祝福されるほどだった。
そんな彼なので、いくらでもスポンサーを集めることができる。引退したらすぐに自分のチームを立ち上げて、ポンス・レーシング
という名前を付けた。このチームは現在もMotoGPに参戦している。
シト・ポンスは1988年と1989年の2年をホンダに乗っていたので、ホンダのマシンを使うことにした。そしてクルーチーフとして、アントニオ・コバスを招いた。
アントニオ・コバスは1992年から1995年までクルーチーフとなり、1996年からはテクニカルディレクター(チームの技術的指導者)となり、ポンス・レーシングの中核的存在になっていた。
アントニオ・コバスは2004年4月14日に病気のため早世してしまったが
、彼の元で働いていたスタッフは、2019年現在もMotoGPの各チームで活躍している。
アントニオ・コバスと一緒に仕事をした技術者の中で、ラモン・フォルカダ、ラモン・アウリン、ファン・マルティネス
(ドゥカティワークスでニッキー・ヘイデンのクルーチーフを務めた)、アントニオ・ヒメネス
(グレッシーニレーシングでクルーチーフを務めている)の4人が出世していき、MotoGP最大排気量クラスのクルーチーフにまで昇進した。
このため、彼ら4人を「コバス・スクールの出身者」などと表現することがある。アントニオ・コバスの教育を受けた技術者という意味。
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に、「Cobas School」「コバスの哲学の相続人」などという記述が見られる。
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最終更新:2025/12/10(水) 10:00
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