ウィリアム・ハーディー・マクニール(1917~2016)とは、カナダの歴史家である。
カナダのバンクーバーに生まれる。シカゴ大学で1938年に学士号、1939年に修士号取得。1947年にコーネル大学で博士号取得。その後はほとんどシカゴ大学で教育活動に従事した。
彼を一躍有名にしたのは、1976年に発表した『疫病と世界史』である。ちょうどこの時期はアルフレッド・クロスビーが1972年に発表した『コロンブスの交換―1492年の生物学的、文化的帰結』に代表されるように、グローバル・ヒストリーは単なる伝搬論モデルから伝染という現象を取り扱うようになってきた。そこへ現れたのがマクニールであり、クロスビーがアメリカへの移動を決定的な事件としたのに対し、マクニールはさらに過去の動物との密接な接触と人口の密集が産んだサイクルに着目したのである。
交易路を通した伝染病の絡み合いについてのマクニールの議論は、非常に大きな影響力を持った。そして、その後10年以上にわたって、新たなる文化横断的な接触の結果としての伝染病、およびシステムに及ぼした広範囲な影響がグローバルな、世界規模の展望を求める歴史家たちの焦点になったのである。
さらにマクニールは新たに「寄生」モデルを提唱した。これは人類と他の動物との間、各個人と共同体、国家、帝国との間の宿主・寄生生物関係を「マクロ寄生」とみなし、従来の病原菌や細菌が人間の免疫システムの弱体化を狙う「ミクロ寄生」と相互関係のモデルでありうることを説明したのである。この結果マルクスとエンゲルス、および彼の後継者たちの収斂モデルとは異なり、寄生するものとされるものの交換関係が続く限り持続可能な、新しいモデルがグローバルな歴史家たちに提供されたのだ。
マクニールの論旨は、以降これを基盤に普遍的な世界史を論じるものへと進んでいった。彼、およびそれを引き継いだ息子のジョン・ロバート・マクニールの著作はここ数年で極めてもてはやされ、日本でも人口に膾炙している。
一方でシェルドン・ワッツが1997年に記した『疫病と歴史―病気・権力・帝国主義』のように、マクニールの歴史観に一定の留保を求める意見もある。また同時期に同じようにやたらと流行ったジャレド・ダイアモンドの環境決定論に対してはマクニールは一笑に付している。
このように病原菌を出発点とした「伝染」を取り扱う学者たちの間にはある程度の対立があるものの、マクニールがグローバル・ヒストリーにおいて重要なエポックメイキングになったのは事実である。そのためまずは短めの『疫病と世界史』から読んでみるのもいいかもしれない。
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最終更新:2025/12/20(土) 21:00
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