トミー・ラソーダ(Thomas Charles Lasorda、1927年9月22日-2021年7月1日)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー、監督である。
| OB | |
|---|---|
| トミー・ラソーダ Tommy Lasorda |
|
| 基本情報 | |
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 出身地 | ペンシルベニア州 |
| 生年月日 | 1927年9月22日 |
| 没年月日 | 2021年7月1日 |
| 身長 体重 |
177cm 79kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左両打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1944年 |
| 引退 | 1960年 |
| 殿堂入り | 1997年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1944年にフィラデルフィア・フィリーズに入団したが、フィリーズでのメジャー出場はなかった。
1949年にブルックリン・ドジャース(1958年にロサンゼルス・ドジャースに改名)に移籍し、1954年にメジャーデビュー。1956年にカンザスシティ・アスレチックスに移籍。マイナー生活の方が長くメジャーでの出場はこの3年だけで、1960年に現役を引退した。26試合の登板で4敗1セーブ。
1961年から1965年までロサンゼルス・ドジャースのスカウトを務める。
1966年からドジャースの傘下で監督を務め、1973年にはドジャースの三塁コーチを務める。
1976年から1996年まで20年間監督を務める。リーグ優勝4回、世界一2回だった。1995年には日本人メジャーリーガーとなった野茂英雄がドジャースに入団し、野茂を「息子」と呼んで歓迎。1996年に健康上の理由で退任した。
1997年に殿堂入りし、背番号2はドジャースの永久欠番となる。
2000年には72歳にしてシドニーオリンピックのアメリカ合衆国代表の監督に就任。マイナーリーグの選手だけの構成ながら、金メダル獲得に貢献した。
2001年には大阪近鉄バファローズのスペシャルアドバイザーを務め、マイナーでくすぶっていた選手を近鉄に送り込み、近鉄の優勝に間接的に貢献した。
2020年11月に心臓の病で入院し一度退院していたが、2021年1月7日に自宅で心肺停止に見舞われ、運ばれた直後に死亡した。享年93歳。
I bleed Dodger blue.(私にはドジャーブルーの血が流れている)という発言を度々残している。
野茂の恩師として有名だが、1993年に日米野球のために来日。その後は日本製品のCMで度々出演していた。長嶋茂雄、星野仙一とも親しく兄弟と慕っていた。
| 通算:3年 Year |
登板 G |
先発 GS |
完投 CG |
完封 SHO |
勝利 W |
敗戦 L |
セーブ SV |
勝率 W-L% |
投球回 IP |
与四球 BB |
奪三振 SO |
失点 R |
自責点 ER |
防御率 ERA |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| MLB | 26 | 6 | 0 | 0 | 0 | 4 | 1 | .000 | 58.1 | 56 | 37 | 49 | 42 | 6.48 |
| 通算:21年 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 勝率 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| MLB | 3040 | 1599 | 1439 | .526 | リーグ優勝4回、世界一2回 |
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最終更新:2025/12/06(土) 00:00
最終更新:2025/12/06(土) 00:00
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