ローズエンド作戦とは、大東亜戦争終結後にアメリカ軍が実施した日本海軍の潜水艦の一斉処分である。
1945年8月15日、日本政府がポツダム宣言を受諾。9月2日に戦艦ミズーリ艦上で降伏文書への調印が行われた事で、大東亜戦争ひいては第二次世界大戦は終結した。これに伴って、帝國海軍が有していた艦艇は次々に接収され、復員船となるか解体されるかの運命を辿っていったが…。
アメリカ軍にとって帝國海軍の潜水艦はまさにトラウマのような存在だった。伊号潜水艦が運用する特攻兵器回天によって絶大な恐怖を味わったため、一刻も早く処分したかったのである。終戦直後、未だ伊400型が作戦行動をしていると知ったアメリカ軍は長大な捜索網を敷くと同時に、帝國海軍に「早く帰投させよ」と急かしており、どれだけ恐れていたかが窺える。元々潜水艦は復員任務に向いていない事もあり、進駐軍(GHQ)は1945年10月上旬より残余の潜水艦を佐世保に集め始めた。生き残っていた潜水艦は逐次佐世保を目指したが、10月29日に宮崎沖で伊363潜が触雷して沈没している。集められた潜水艦のうち、28隻の海没処分が決定。処分はローズエンド作戦の命名され、場所は長崎県五島列島福江島東方50km沖とされた。
1946年4月1日、日本人乗組員によって佐世保を出港。現場に到着すると、アメリカ兵が艦内に爆薬を設置。一部の艦は潜望鏡や司令塔に桜の枝が付けられた。そして起爆し、潜水艦は海の底へと沈んでいった。爆破だけで沈まなかった艦はPBM飛行艇や潜水母艦ネレウス、駆逐艦エヴァレット・F・ラーソンの攻撃によって沈められた。この時の様子は重巡洋艦コロンバスが記録しており、米海軍歴史センターに残されている。この作戦で24隻の潜水艦が処分され、残る4隻はデッド・ダック作戦で海没処分された。
ちなみに伊400と伊401はアメリカ軍の興味関心を得たためハワイまで回航されたが、伊402はローズエンド作戦で沈められている。
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最終更新:2025/12/05(金) 18:00
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