久米島守備隊住民虐殺事件 単語

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久米島守備隊住民虐殺事件とは、沖縄戦日本軍久米島守備隊が民を虐殺した事件である。

異称「沖縄のソンミ事件」。

概要

第2次世界大戦太平洋戦争/大東亜戦争末期沖縄戦久米島には鹿山正曹長率いる日本海軍通信隊・守備隊が駐屯していたが、わずか34人という少人数であった。これに対して久米島の人口は約1万人。

1945年6月23日の組織的戦闘終了後、6月26日久米島にも米軍が上陸するが、久米島守備隊は民が米軍に協したら自分達はひとたまりもないと恐れ疑心暗鬼に陥りスパイ狩りを始めた。

6月27日には米軍の降勧告を持ってきた安里二郎氏を射殺。これを皮切りに久米島守備隊はスパイと疑った人物の殺を繰り返し、女子供問わず一家皆殺しにしたこともあった。8月15日ポツダム宣言受諾以降も虐殺は続き、直接の殺だけで26人は死亡した。

久米島守備隊は9月7日に投降し屋嘉収容所に送られた。鹿山曹長は収容所で久米島民からリンチを受けたようだが、住民虐殺日本人朝鮮人を含む)内輪の事件として罪を問われることはなく、本土へ帰還した。

事件表面化

1972年虐殺事件が明るみになると鹿山氏は進んでマスコミの取材を受けた。

「処刑は住民ではなく部隊を守る行動であったとして正当な業務行為であった」

「少しも弁明はしません。私は日本軍人として、最高指揮官として、当時の処置に間違いがあったとは、ぜんぜん思っていないからです。それが現在になって、法的に、人的に悪いといわれても、それは時代の流れとして仕方がない。いまは、戦争も罪悪視する平和時代だから、あれも犯罪と思われるかもしらんが、ワシは悪いことをしたと考えていないから、良心の呵責もない。ワシ日本軍人としての誇りを持っていますよ。」

といった発言は沖縄県民の猛反発を買い、同時期に日本政府が進めていた沖縄への自衛隊配備にも悪を与えた。

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