仁科時成 単語

ニシナトキナリ

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仁科時成(にしな ときなり)とは、元プロ野球選手である。

概要

1951年6月2日生まれ。岡山県浅口出身。

山陽高等学校に進学。仁科自身は中学時代岡山県内でもトップクラス投手として知られていたが、全く実績の学校への進学であった。入学後、エースとして活躍したが、甲子園大会に出場することはかった。

卒業後、大倉工業に入社。ここでトレーニングの際にを痛め、投球フォームがオーバースローからサイドスローに、サイドスローからアンダースローへと徐々に腕が下がっていった。1975年都市対抗野球大会に電電四国の補強選手として出場。翌1976年には大倉工業を社会人野球日本選手権初出定に導き、初戦で勝利を挙げている。

1976年ドラフト会議にて、ロッテオリオンズに3位名で入団。

1977年リリーフを中心に26試合に登板し5勝を挙げた。

1978年、開幕から先発投手の一として登板し、9勝6敗、防御率4.26という成績を残した。

1979年、初めて規定投球回に到達し、9勝11敗、防御率4.01という成績を残した。

1980年、落ちる変化球を習得し飛躍。17勝8敗、防御率3.19と好成績を残し、オールスターゲームにも初出場を果たした。

1981年阪神から移籍してきた深沢恵雄とともにアンダースローの2枚看板として活躍。13勝を挙げた。

その後、1982年、9勝14敗、1983年、5勝13敗と2年続けて低迷したが、下半身を鍛え直して復活する。1984年に13勝を挙げると、1985年には12勝、1986年には10勝を挙げた。

1988年中継ぎ投手に転向し31試合に登板したが、同年限りで現役を引退

引退後もロッテに残り、投手コーチを務めた他、コーチを務めていない時期には合宿所の寮長を務めた。また、船橋市内でスナックを経営していたという。

人物・エピソード

100km/h以下のシンカーなど複数の変化球を駆使し、巧みな投球術で打者を打ち取っていたたアンダースロー。軟投投手だが、フォームは全身を大きく使う非常にダイナミックであった。

を厳しく攻める強気な投球も持ち味であったが、それ故に死球も多く、リーグ最多与死球を5度記録している。

現役中2度ノーヒットノーランを逃している他、1安打完封勝利も1度記録している。

通算成績

投手成績

通算:12年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 334 91 15 110 108 1 --- .505 1816.1 457 890 927 827 4.10

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