今川氏親 単語

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今川氏親(1473~1526)とは、戦国時代守護大名戦国大名である。

概要

幼名は竜王丸。通称五郎
今川氏第七代当駿河守護。後に遠江守護も獲得する。
は同じく駿河守護の今川義忠。北条早雲(もしくは)の北川殿。よって北条早雲伯父にあたる。
子に今川今川五郎今川良真玄広恵探)、今川義元等。正室には公家出身の妖怪ババァ寿桂尼をむかえている。

今川守護大名から戦国大名に押し上げ、からの領土、駿河に遠江を加えた。

家督相続まで

 1473年駿河守護今川義忠の長男として生まれる。そのままであれば、普通の後を継いだのだろうが、1476年にが遠江遠征の際、人に襲われ討たれてしまった。竜王丸が幼かったため一族の小鹿範満相続今川内部で督争いが起こる。さらに、これに介入しようと扇上杉氏家太田道灌堀越御所執事上杉政盛が関東から兵を出しており、あわやのところとなった。

これを収めたのが、幕命を受けた北条早雲竜王丸が成人するまでの中継ぎとして小鹿範満督を受けるということで決着した。

…となればよかったのだが、竜王丸が成人する年になっても範満が督を返上しない。そこでまたまた早雲駿河に下向、駿河の今川館を急襲して範満を討ちとった。これでようやく竜王丸は今川になった。この時、元もしている。

ちなみに、この少し前に大名としはて初めて印判状を使っている。

家督相続後

相続から氏は積極的に対外政策を打ち出している。堀越御所が内紛を起こしたので、北条早雲に兵を貸してせめこませている。関東に対しては扇上杉氏に味方し、山内上杉氏と敵対して、関東に何度か出兵している。

また、早雲に命じて遠江へ侵攻している。遠江はもともと今川が守護を行っていただったが、斯波氏にその地位を奪われていた。その奪還を試みて義忠も戦死しており、氏にとって遠江奪還は念願だったのである。侵攻と同時に検地も行ったが、しかし、この行動は幕府の命に基づくものではなく、これにより、今川氏は守護大名の立場を脱却し戦国大名になったとみられている。さらに、1508年には遠江守護に任じられている。しかし、その後も斯波氏との戦いは続き、遠江を定したのは1516年である。

武田氏とも争いを続けており、一時期武田氏の本拠迫った。後に和している。
三河にも兵を出し、松平長親と戦っている。

1526年死亡葬儀は、7000人の僧侶が参加するという、戦国大名の中でも例を見ない大葬儀だったといわれる。

内政

彼は対外政策だけでなく、内政にも功績を残している。領内の検地や阿部金山開発である。

また、公家出身の女を娶ったことは、中央、特に公家社会との結びつきを強くした。(氏、義忠も中央との関係を築こうとし、足利氏執事伊勢氏出身の女を娶っている。それまで、今川氏は上杉氏からを貰っていた。)

さらに、彼が死ぬ間際に残した今川仮名録は後世の分法に多大なを与えた。
後に、息子義元によって追加法が出ている。

戦国大戦

「屈せよ!が威に!」

Ver2.2今川で参戦。特技は魅だけと寂しい足軽。武と統率は均以上。
計略は「龍王の大戦火」。将配計略だが、今川特有の長時間計略である。 

素では自分と、ラインが結ばれた今川の味方の武が上がるだけの効果。更に時間経過で最大士気がどんどん下がっていく。ただし、最大士気が増えた時その最大士気増加量に応じて自分と、ラインの繋がった味方全員の兵回復する。今川には同Verで最大士気が増える計略が多数追加されたため、それらとのコンボが基本となる。
必要士気こそ効果の割にやや高いが効果時間は長く、今川らしく後半で強いカードと言える。 

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