堀内庄(ほりうち しょう)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 堀内庄 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 長野県松本市 |
| 生年月日 | 1935年10月5日 |
| 没年月日 | 2010年10月27日 |
| 身長 体重 |
181cm 75kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1954年 |
| 引退 | 1963年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
松商学園高等学校に進学。エースとして活躍し、在学3年間で3度甲子園大会に出場しているが、いずれの大会も初戦で敗退している。
入団2年目の1955年、一軍デビューを果たし、13試合に登板して2勝を挙げ、防御率は2.23を記録。
1956年、シーズン途中から先発投手として起用されるようになり、14勝4敗、防御率1.46(セ・リーグ2位)を記録した他、勝率.778を記録して最高勝率のタイトルを獲得した。
1957年、開幕前にロサンゼルス・ドジャースのキャンプに参加し、チェンジアップを習得。これで投球の幅を広げることに成功すると、開幕後は12勝10敗と勝利数こそ伸ばせなかったものの、防御率は1.72と2年連続でセ・リーグ2位の成績を残すなど、抜群の安定感を誇った。
翌1958年にも14勝を挙げているが、1959年は右肩を故障してしまい8勝に終わった。その後、手術を受けたが完治はせず、以降この右肩痛に悩まされ低迷。1960年は未勝利に終わっている。
1961年に投球フォームをサイドスローに変えて再起を図り、中継ぎ投手に転向。1961年は、29試合に登板して5勝、防御率3.07、1962年には35試合に登板して、6勝、防御率1.68と復活。
力のある直球と、落差の大きいドロップボールを武器に活躍した右腕。
腰をくの字のように曲げ、遠心力を生かして投げ込む独特の『遠心力投法』が特徴的。ただ、全身を大きく使うフォーム故に、試合終盤にスタミナ切れを起こす場面も多かったようである。
| 通算:9年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 243 | 32 | 12 | 62 | 44 | --- | --- | .585 | 1017.2 | 313 | 756 | 292 | 245 | 2.17 |
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最終更新:2025/12/23(火) 20:00
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