東京府(現東京都)出身の合気道家である。合気道開祖植芝盛平の高弟で、独立して養神館合気道を創始した。卓抜した技量と遊び心溢れる演武で多くの人を魅了した。
植芝盛平から直々に九段を印可された最後の人物。剣術より体術が得意だったらしく、九段の試験の際に「剣術では植芝先生に打ち込めるとは思えなかった。体術ではいけそうな気がした」そうな。ちなみに実際に打ち込もうとした直前に「よし」の声がかかっており、この辺り常人には窺い知れない駆け引きがあったと思われる。ちなみに、植芝門下では比較的若い方だったらしい。
また、人気格闘漫画『グラップラー刃牙』の登場キャラクターの渋川剛気のモデルとなった人物としても知られる。作者の板垣恵介は、塩田の内弟子であった三枝誠の自衛隊時代の友人であった縁から塩田と親交があり、漫画的な表現も当然ながら多分にあるものの、その達人っぷりと人となりは実際の塩田にかなり忠実に描写されている。
その他にも金魚を観察して身のこなしを学んだ等、自身の合気道の研究について遺した言葉は多い。
掲示板
50
2021/11/09(火) 15:37:53 ID: zHjAvHX3v2
盛平先生の直弟子だった西尾昭二先生に行く年か教わってたから当時のエピソードを色々聞けたが、盛平先生はガチで強かったらしいぞ。
盛平先生には道場破りがガンガン来てて、柔道と空手出身の西尾先生もそのクチだったが、兄弟子が盛平先生に挑んだが、盛平先生は「いつでも打ってこい」と後ろを振り向いちまった。
で、兄弟子が距離を詰めていざ突きを食らわそうとすると振り返って「どうした?!」って懐に入ってきて、何度やっても同じで、ついに突きを打てなかったそうだ。
で、西尾先生はそのまま弟子入りしたが、盛平先生は技を一度見せたらすぐ引っ込んで、兄弟子たちは探り探りやってたから、本来の盛平スタイルである「すべての格闘技に対応し、進化する武道」を、塩田剛三もふくめて正しく継承できなかった。
ただ、西尾先生だけは若かったから遠慮せずにガンガン質問して、盛平先生からテクニカルな部分もたくさん教わり、実践合気道として進化させてった。
だが、それが本部の兄弟子たちは面白くなくて「西尾は気の出し方もしらん」と揶揄されたらしいが、実際に米軍基地の演舞でボクサーのジャブを入身
(省略しています。全て読むにはこのリンクをクリック!)
51 ななしのよっしん
2022/11/20(日) 17:42:47 ID: MKmVaLgCz4
😲
52 ななしのよっしん
2024/02/12(月) 10:39:48 ID: FQgORfLLA8
>>50
そうだな。
そのエピソード、全部ネットで拾える話だけどな。
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最終更新:2025/12/05(金) 19:00
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