士徽 単語

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シキ

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「士徽」シキ 165 ?)とは、ベトナム古代史の英雄士燮の子で、士一族のリーダーとして孫権に反乱を起こしたものの、失敗して一族を滅亡させてしまった事から、三国志原作者・陳寿より

庸な才しかないのに富を弄び、険阻な地勢を頼みにしたことがこのような結果を招いたとある」

と手厳しい評価をうけている(自分の事は)空気読めない駄息子

概要

ベトナム古代史において一絶賛されている人・士燮の子に生まれる。

が交州の民を思って戦わずに孫権に降した際に、一番上のの士廞が孫権の下に人質として送られて、の死後に武の太守となった事あるが、まだ次士祗もいたのに温厚篤実すぎて一族のリーダーに向かないと思われたのか、気性の荒さに定評のある士徽が一族のリーダーとなった。

一大の英雄たる士燮が死した後は、孫権と交州刺史の呂岱によって士一族の力を排除する方向で動いていた為、交州の要衝である士徽の地元の交趾を士一族から切り離そうと士徽を安遠将軍に任じ、士徽の地元の交趾の太守に陳時を据えてる上奏を呂岱が行った。

孫権計画通りに上奏を認めると、呂岱はさらに交州の分割統治をすすめて、士燮ほどの英傑でなければ政治的対抗が不可能な状況を次々と作り出して、気性の荒さに定評のある士徽の暴発を誘った。

領民に対しては

士徽は祖以来、この地の人々の間に恩恵を施し、州全体が彼に心を寄せておりますから、慎重な行動を取らなければなりません

とその姿勢を評価されていた士徽であったが、自分の事となると空気が読めず、気性の荒さも手伝って交趾太守を自称してから派遣された戴良・陳時の着任を阻止して、孫権に対し反乱を起こしてしまった。

計画通りですね厨房

怒りに任せた様な反乱だった為、たいした準備もなく、次士祗達は協力してくれたものの、陽で働いたこともある士壱士匡子や、長の士廞は反乱に参加しなかったうえに、士徽討伐を呂岱が上奏している間に、士燮取り立てた桓向かう愚を士徽に諫言したが、短気に定評のある士徽は逆に桓を誅殺してしまい、その非に怒った桓・桓治と桓の子の桓発が兵を率いて士徽の籠もる交趾に攻撃を仕掛ける事態となり、なんとか講和したものの、この益な身内争いもあって補給線が崩壊し、そのまま篭したものの耐え続けることはできないと考えていた士徽の元に、従兄弟士匡が降したら命は助けるという呂岱の密約をもって交渉人として現れ、次士祗のとりなしもあって士徽は降するを選んだ。

しかし、士一族殺を狙っていた事もあってか呂岱は、加担した者を皆殺しにして、士一族を根絶やしにしようと考えていた為、のこのこと面会に訪れた士徽は、同行した士祗らと共に捕らえられて殺されてしまうのだった。

中国歴史によくある一大の英雄の後継者が一代で滅びる話のひとつである。

その他「士徽」の詳細についてはWikipediaの該当記事参照の事。 exit

三国志演義では

士徽は・・・登場しない。 

関連動画

▼大事な事は二回言う温州蜜柑Pのお気に入り武将として活躍する「765プロ亡史」



 

補足

コーエー三國志シリーズにおける士徽の力一覧。

地理上の都合で、交州のタイトルには登場できない。

統率 武力 知力 政治 魅力 身体 運勢
三國志
三國志II
三國志III
三國志IV
三國志V
三國志VI 67 71 61 39 70
三國志VII 51 46 38 56
三國志VIII
三國志IX
三國志X 69 64 44 31 54
三國志11

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