大竹英雄 単語

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大竹英雄とは、囲碁棋士日本棋院理事長、全日囲碁連合会長である。現在の段位は九段。

概要

1942年5月12日生まれ。出身地の福岡木谷實九段と九子置きで一局打ち、その才を認められて木谷場門下生となる。小林光一趙治勲武宮正樹加藤正夫石田芳夫ら多くの天才を輩出した木谷場にあって、1956年14歳で入段。プロ棋士となる。翌年、プロ二年にしてトーナメント戦で並み居る強を退け初優勝。その才を垣間見せる。初タイトル1967年、25歳坂田栄男から奪った日本棋院第一位現在碁聖)。この頃から碁聖戦類の強さを発揮していた。

名人戦碁聖戦、そしてにはめっぽう強かった一方で、棋聖戦本因坊戦には不思議と縁が薄く、通算で三度しか七番勝負に進出できていない。さらに、結局三度とも敗退している。ちなみに前述の三つにどれだけ強かったかと言うと、名人戦七番勝負に十二度、碁聖戦は三番勝負に九度臨み、トーナメントでは七度優勝しているほど。人呼んで神様名人戦男」

通算獲得タイトル数48、通算勝率.618(1188勝732敗)。名人戦に限ると.705本因坊戦に限ると.443どうしてこうなった

自他共に認めるライバル林海峯。ただ、小林光一武宮正樹のようにといった関係ではなく、「共に高めあえる重な存在」と両者共にっている。

棋風

大竹流」と呼ばれる非常に手厚い打ち筋が最大の特徴。一見悪手に見える手、価値のないような手を次々と並べている内に、いつの間にか優勢に立っているといった、小林光一く「魔法みたいな打ち筋」である。その個性的で魅的な棋からファンも多い。

当時共に第一線をひた走っていた小林とは対極に位置する棋で、その二人が全身全霊を懸けて闘った1992年の第十七期名人戦第七局は、今でも歴史に残る名勝負としてり継がれている。

人物

非常におおらかで、面倒見のいい「善き先輩」である。棋戦には必ず和服を着用し、茶の湯でもプロ級の腕前を持つなど、和をこよなくする。また、タイトル戦で敗れても対戦相手や観戦記者まで誘って全員カラオケに繰り出したり、対局前には記録係の院生に積極的に話しかけたりと、色々と気が利く人物でもある。

一方で、日本棋院理事長でありながら囲碁より麻雀が好きだ」言してはばからない、七番勝負最終戦という大一番の一時間前にも麻雀、最高のライバルと持て囃された林海峯麻雀フルボッコにするなど麻雀としての一面も併せ持っている。

まあ、その気さくさも大竹人気の一因であり、奇人変人の多い囲碁界で最大の良心と言われたりしたのだからよしとしよう。

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