桂文枝 単語

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桂文枝とは、上方落語の高座名である。

  1. 五代桂文枝(1930年4月12日 - 2005年3月12日) - 旧高座名:三代目小文枝
  2. 六代・桂文枝1943年7月16日 -) - 旧高座名:桂三枝

ここでは、1について解説する。2については当該記事参照。

五代目桂文枝について

五代桂文枝(ぶんし)とは上方落語四天王といわれた大名人である。とはいえ、今日では六代・桂文枝を襲名した桂三枝と紛らわしいので、五代文枝、あるいは旧名の小文枝と呼ばれることもあるが、世間では六代・文枝は未だに三枝と呼ばれ、文枝、あるいは小文枝だけで通ることも多い。本名は長谷川多持(たもつ)。

なお、高座名が桂文枝となったのは1992年からであり、それまで長い間、小文枝として知られた。

概要

上方落語の名門、本家一門の出であり、子に桂三枝(後の六代・桂文枝)、桂文珍桂小枝、4代小文枝(きん枝)、あやめなどがいる。また、子の面倒見が良く、売れずに悩んでいた子に対し、的確な助言を与え、後でを咲かせた噺も少なくない。

出身は大阪市の中心地天神橋六丁目、宮大工父親とともに内を転々とした。戦前には叔父に連れられ釜山に住んだこともあったが、すぐに帰阪。その後は叔父旋もあり、大阪市交通局に就職。そこで同僚であった之助の口利きで4代桂文枝に入門する。ただし、当初は落語興味はなく、あくまで舞踊を習うためであった。その後は職員と二足鞋であやめの高座名で舞台に立つが、間もなく落語家として一本立ちしていく。だが、分裂騒動などの紆余曲折あって囃子方への転向なども経て3代小文枝となった。

吉本興業に所属し、漫才ブーム全盛期の中、落語家の地位が貶められていた時期でも決して腐らず、日々技に邁進し、陰で吉本を支えた功労者でもある。また、1971年には立川談志と二人会を開催、虎ノ門にて開催した。これがきっかけで小文枝の支持者が東京でも生まれることになる。

1992年に桂文枝を襲名。1997年には綬褒章、2003年には日小綬章を受賞するも、2005年に体調を崩し、から併発した呼吸不全で死去した。享年74。

は、演技中のにこやかな表情と相俟って、とにかく明るい陽の属性で知られる。かなりの演技でもあり、丁稚や女役、果ては幽霊動物なども得意とし、メリハリのある、通りの良いが特徴的である。また、アレンジ天才であり、冗長な中だるみしやすい部分を端折り、うまく時間内にまとめる名人でもあった。この芸桂文珍などに受け継がれている。

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