六代・桂文枝とは、大阪府堺市出身の落語家、司会者である。本名は河村 靜也。旧高座名は桂三枝。若き頃は「サニー」の愛称で呼ばれていた。
五代目桂文枝(旧:三代目桂小文枝)一門で、一番弟子に当たる。
桂文枝の六代目に当たるが、上方落語で「六代目」というと六代目笑福亭松鶴を指すため、混同を避けるために「六代」としている。
吉本興業所属タレントにおける重鎮の一人で、西川きよし、笑福亭仁鶴と並ぶ三巨頭とも言われる。
大阪府堺市東区で生まれ、5歳で大阪市に移住する。
関西大学夜間部に入学し、その際に三代目桂米朝の落語を聞いて落語研究会に入部、アマチュア落語家としてラジオにも出演していた。
1966年にプロの落語家を目指そうと三代目桂小文枝に入門を志願するも、大学生を弟子にする気がないと断られてしまう。しかしラジオ番組で知り合った松竹芸能(当時)の藤井康民が後見となることで弟子入りを許される。
1967年、深夜ラジオ番組「MBSヤングタウン」(MBSラジオ)のパーソナリティとなり、関西で大人気となる。
さらにはその「ヤングタウン」のテレビ番組版として企画された「ヤングおー!おー!」(毎日放送)の司会にも抜擢され、関西はもちろん全国的な人気を獲得した。この番組には桂文珍、明石家さんま、島田紳助等がレギュラー出演しており、三枝を含めたメンバーの活躍により吉本興業が後に「笑いの総合商社」とまで呼ばれるようになる絶対的地位の基礎を築いた。
1971年には現在も続く大長寿番組「新婚さんいらっしゃい!」(朝日放送)もスタート。当初月亭可朝と女性アシスタントによる3人司会であったが、3ヶ月後に可朝が選挙出馬のために降板し、女性アシスタント(現在は山瀬まみ)との2人司会となり現在に至っている。
1970年代当時、まだまだ東京を中心とした関東と大阪を中心とした関西ではウケるお笑いの差が激しかった。そんな時代の中、関東のテレビ・ラジオ番組でもスターとして活躍することができた先駆者の一人として笑福亭鶴光らと並び称されている。
一方、落語においては自身の創作落語を数多く披露しており、その数は200作を超えている。これは若手の頃古典落語に馴染めなかったことや、早くにタレントして売れたことで古典落語の稽古をあまり付けてもらえなかったなどの理由から、新作で勝負するスタンスを貫いたことによるものである。なお文枝は自分が作った落語を後世に残すつもりであるため、使い捨てのイメージが強い「新作」という単語を使わず、「創作落語」と称している。
1990年代半ばから「新婚さんいらっしゃい!」を除くレギュラーの司会は控え、落語中心の活動に切り替えている。
しかし一方で参議院議員選挙に出馬することも考えていたが、出馬表明後に家族などから反対を受け、公示前に断念している。
2005年に師匠の五代目桂文枝(1992年に襲名)が亡くなる。2011年には六代目を名乗ることを発表、翌年7月に六代・桂文枝を襲名した。その後のタレント活動でも文枝の名で行っている。
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最終更新:2025/12/06(土) 16:00
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