金田政彦(かねだ まさひこ)とは、元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| 金田政彦 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 大分県豊後高田市 |
| 生年月日 | 1969年4月30日 |
| 身長 体重 |
177cm 65kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 左投左打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1992年 ドラフト2位 |
| 引退 | 2006年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
県立高田高等学校に進学。在学3年間で甲子園大会出場歴は無し。
卒業後、日産自動車(九州)に入社。1年先輩の藤井将雄とともにチームのエースとして活躍。1992年の都市対抗野球大会に補強選手として出場し活躍した事で評価を高めた。
1992年ドラフト会議にて、オリックス・ブルーウェーブを逆指名し、1位指名を受け入団。同期入団には小林宏・牧野塁らがいた。
初年度の1994年から登板機会を得たが、防御率は悪く、主力として活躍したわけではなかった。
1995年、一軍登板は3試合にとどまったが、二軍では最多勝を獲得するなど、ポテンシャルの高さは示していた。
1996年、先発ローテーションに定着。ローテーションの5~6番手や谷間に先発を重ね、6勝8敗、防御率4.23を記録。日本シリーズでも登板を果たした。
1997年・1998年は結果を残せなかったが、二軍で投球の幅を広げ、1998年9月には4勝を挙げて月間MVPを受賞。
1999年、窯区から先発ローテーション入りを果たすと、夏場にはオールスターゲームにも初出場を果たす。最終的にはパ・リーグ最多の29試合に先発登板し、11勝10敗、防御率3.49とブレイクを果たした。
2000年は故障もあり、6勝止まり。2001年は初めて開幕投手を任されるなどエースの役割を任され、8勝を挙げたが、防御率は4.94とやや精彩を欠いた。
2002年、主力野手の退団が相次ぎ、打線の援護に恵まれなかったが、開幕から安定した投球を披露し、4勝9敗、防御率2.50という成績を残し、自身初となる最優秀防御率のタイトルを獲得。
以降は故障や不調に悩まされ、成績は下降線をたどっていった。
2005年、球団合併に伴う分配ドラフトを経て、新規球団の東北楽天ゴールデンイーグルスへ移籍。選手層の薄さもあり、初年度は25試合に登板して3勝6敗、防御率6.01という成績を残した。翌2006年は2試合の登板に終わり、シーズンオフに戦力外通告を受け、現役を引退。
引退後は、福岡ソフトバンクホークスの打撃投手を1年努めた後、サラリーマンに転職。
140キロ台後半の直球に、遅いスローカーブやチェンジアップを用いる緩急を交えた投球で活躍した左腕。
投球スタイルや細身の左腕という点は、金田の前のエースであった星野伸之と似ていた。
| 通算:14年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 244 | 12 | 3 | 52 | 65 | 1 | 0 | .444 | 1036.2 | 363 | 638 | 540 | 479 | 4.16 |
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最終更新:2025/12/05(金) 21:00
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