パッシングショットとは、1985年生まれの日本の競走馬である。鹿毛の牝馬。
当時数々の名牝と呼ばれた競走馬達が苦戦する中、1986年のタカラスチールに次ぐグレード制導入後史上2頭目の牡牝混合GIを勝利した牝馬。
通算成績27戦5勝[5-10-3-9]
主な勝ち鞍
1990年:マイルチャンピオンシップ(GI)、CBC賞(GII)
概要
※当記事ではパッシングショット活躍した当時の旧馬齢表記(現在の表記+1歳)を使用しています。
血統
父トウショウボーイは現役時代に皐月賞、有馬記念を勝利して日高地方の中小牧場の救世主として活躍していた大種牡馬。
母タカヨシピットは現役時代に31戦1勝とパッとしなかったが、31戦の内実に15戦で2着。引退前には9戦連続で2着と稀代のシルバーコレクターぶりを発揮していた。そしてこの勝ち切れなさは子のパッシングショットにも引き継がれることになった。
母父ネヴァービートは通算10戦1勝と競走馬としては大成できなかったが、日本で種牡馬として成功、母父としてはサクラユタカオーやダイタクヘリオスなどを出してGIを10勝とさらに成功を収めた。
誕生~3歳(87年)
1985年4月26日、北海道浦河町の浦河小林牧場で誕生。3歳になると後にサイレンススズカやアドマイヤベガを管理することになる新進気鋭の調教師・橋田満(栗東)の厩舎に入厩した。
1987年11月29日、中京競馬場の新馬戦で南井克己を鞍上にデビューし、2着。12月13日の新馬戦(当時は同一開催内なら複数回新馬戦に出られたのである)では橋田厩舎所属の楠孝志に乗り替わって勝利。
2戦1勝でデビュー年を終えた。
4歳(88年)
2月の400万下条件戦からスタート。ここは5着だったものの、3月の初雛賞では後の桜花賞馬アラホウトクに次ぐ2着に入る。
休養を挟んで9月から、同じ400万下の条件戦を2着、2着、3着……ともどかしいレースが続いたが、11月の逢坂山特別では1番人気で出走、7馬身もの差をつけて快勝し、その勢いのまま連闘でエリザベス女王杯(GI)に出走した。しかし流石にキャリア最長距離の2400mは連闘の身にはきつかったか、勝ったミヤマポピーから大きく離された9着に終わった。
88年ラストランは、当時の年内最終戦として行われていたワールドスーパージョッキーシリーズの1競走・ゴールデンサドルトロフィー(900万下)。柴田政人を鞍上に1番人気で出走し、みごと優勝した。
5歳(89年)
4歳時の1600m戦における安定した戦績と、2400mのエリザベス女王杯の惨敗から、陣営はマイル以下の重賞に狙いを絞る。南井騎手を鞍上に向かえた始動戦は1月の京都牝馬特別(GIII)。単勝人気1.9倍のシンウインド/武豊に次ぐ2番人気に推され、4番手を先行して上り最速で前を捉えるべく迫ったが、5番人気のリキアイノーザンの逃げをクビ差捉えられず2着に敗れた。
マイラーズカップ(GII)でも同じく上り最速の脚を見せたものの2着、京王杯スプリングカップ(GII)でも上り2位タイで3着と、勝ち切れないレースが続いた。大目標としていた安田記念(GI)では8番人気まで人気を落とし、これまで見せていた末脚も見せることなく、バンブーメモリーの6着に敗れた。
夏は休養。秋は新しい可能性を探るためなのか、11月の東京ダート1400mの根岸ステークス(GIII)から始動。特に見せ場もないままブービー13着だった。
次戦は距離延長を試み、芝2000mのトパーズステークス(OP)に出走。ここでは後方待機からあがり2位の足で2着に突っこむ健闘を見せる。陣営はこの内容に手ごたえありと見たか、芝2000mのサンケイスポーツ杯阪神牝馬特別(GIII)に出走を決定。前走の内容から2番人気に推されたが、後方待機からの末脚が今回は不発に終わり、勝ったルイジアナピットから1.8秒離された12着に大敗する。
6歳(90年)
前年秋の距離延長を反省したのか、得意条件の芝1600mに戻る洛陽ステークス(OP)から始動。鞍上は楠騎手に乗り替わった。得意距離に戻ったこともあり1番人気に推されたが、6番人気の8歳馬スカイジャイアントから3馬身付けられて2着。
そのまま、前年2着と好走した京都牝馬特別に出走。再びの3番人気だったが、6番人気に甘んじていた前年覇者リキアイノーザンに再び逃げ切られた上、マロングラッセとサマンサトウショウも捉えられず、GI以外のマイル戦では久しぶりに複勝を外す4着に敗れた。
その後は条件戦を2番人気3着、オープン戦3番人気2着、阪急杯(GIII)を3番人気5着と、相変わらずの善戦ウーマンぶりで、5戦目のCBC賞(GII)では6番人気まで人気を落としてしまっていた。1番人気は前年の安田記念覇者・名手武豊が鞍上のバンブーメモリーである。しかしパッシングショットは、レース本番ではバンブーメモリーの前につけて上り2位の末脚を繰り出し、上り最速で迫るバンブーメモリーを4分の3馬身抑えきり、実に1年半ぶりの勝利を重賞初勝利で果たした。
その後、当時夏の大一番として行われていた2000mの高松宮杯(GII)にバンブーメモリーと共に出走したが、バンブーメモリーが1番人気に応えて勝利する一方、やはり距離が長かったか10着に敗れる。
休養明け。秋はマイルチャンピオンシップを目標に前哨戦のスワンステークス(GII)から復帰。ナルシスノワールの逃げを捉えきれず2着となったが、1番人気センリョウヤクシャは上がり3位の脚でクビ差抑えた。
マイルチャンピオンシップ(GI)では、前年ハナ差2着のバンブーメモリーが1.6倍の圧倒的1番人気。パッシングショットは10番人気の低評価であった。しかしレース本番では、馬群を割って先頭に立とうとしていたバンブーメモリーを外から豪快に差し切り、後方から追い込んで来たサマンサトウショウも抑え、遂にGI制覇に到達する。
これは1988年クラシック世代では唯一の、グレード制が導入されてからはタカラスチール以来史上2頭目の、牝馬の牡牝混合GI勝利であった。鞍上の楠騎手、担当する橋田調教師もGI初勝利。バンブーメモリーは2年連続のマイルCS2着に敗れることになった。
引退レースとして、この年GIに昇格したばかりのスプリンターズステークスに出走する。しかしパドックで激しく入れ込み、ゲートインの前には放馬、スタートでは大出遅れとなってしまい、バンブーメモリーが日本レコードで勝利した後方、8着に沈んだ。直線では上り2位のバンブーメモリーを0.9秒も上回る凄まじい末脚を発揮しただけに、つくづく出遅れが惜しまれる。
引退後
90年度表彰では古馬GIを勝利した唯一の牝馬として最優秀5歳以上牝馬を受賞。同じくこの年で引退する最優秀5歳以上牡馬・オグリキャップと並んだ。
引退後は故郷の浦河小林牧場に戻って繁殖牝馬となったのだが、初年度の相手であるニッポーテイオーとの種付け準備中に転倒、頭蓋骨を骨折し死亡。自身の末脚を継ぐ産駒を残すことは出来なかった。
血統表
トウショウボーイ 1973 鹿毛 |
*テスコボーイ 1963 黒鹿毛 |
Princely Gift | Nasrullah |
Blue Gem | |||
Suncourt | Hyperion | ||
Inquisition | |||
*ソシアルバターフライ 1957 鹿毛 |
Your Host | Alibhai | |
Boudoir | |||
Wisteria | Easton | ||
Blue Cyprus | |||
タカヨシピット 1972 栃栗毛 FNo.4-g |
*ネヴァービート 1960 栃栗毛 |
Never Say Die | Nasrullah |
Singing Grass | |||
Bride Elect | Big Game | ||
Netherton Maid | |||
ファーストウエイ 1967 鹿毛 |
*ボウプリンス | Prince Chevalier | |
Isabelle Brand | |||
スーパーポンド | *ライジングフレーム | ||
トミカツラ |
クロス:Nasrullah 4×4(12.50%)、Hyperion 4×5(9.38%)、Nearco 5×5×5(9.38%)
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