水浜電車とは、かつて茨城県に存在した地方鉄道事業者である。
保有・運行していた水浜線についても当記事で扱う。茨城交通の前身の一つ。
概要
1922年12月28日に開業。水戸市から大洗町を通りひたちなか市を結んでいた路面電車で、郊外区間は専用軌道を走った。水戸と磯浜(大洗の漁港)を結ぶ事から水浜線と名付けられた。
1930年までに全線20.5kmが開通。凡そ国道50号と国道51号を辿る形の経路を辿っている。
区間により平均的な停留所間距離が異なり、上水戸~浜田間は約0.315kmと路面電車的、浜田~磯浜間は約1.1kmと都市近郊鉄道的、磯浜~湊間は約0.72kmとその中間的な性質を持っている。
水戸駅前電停にて水戸駅に連絡している他、「茨城線」の電化区間への乗り入れも行われた。ただし、赤塚駅方面への乗り入れは無し。
1932年には水浜線に並行するバス路線を運行する「本橋自動車」を買収する。このバス路線、電車の発車直前を狙って発車するなど積極的に客を奪いに来ており、両社の乗務員同士の小競り合いも耐えなかったと言う。「大水戸自動車」を設立して事業を引き継ぎ、1935年に水浜電車の自動車課となった。
自動車の台頭で不振の電車部門をカバーして水浜電車を支えるが、戦時体制でガソリンやタイヤなどの物資が統制されるようになると電車部門が盛り返すようになる。
大洗方面から鉄道道路併用橋である海門橋を通り那珂川を超え、湊電停へ至っていたが、洪水等により海門橋が1938年6月28日に崩落してしまう。以降は海門橋電停が終点となるが、その後休止区間が拡大。新たな海門橋架けられる頃には大洗電停が終点となっており、再び湊へ至る事は無かった。
かつては夏の観梅シーズンや夏の海水浴シーズンに大きな賑わいを見せ、続行運転もよく行っていたたが、茨城交通のバスへの移行が進む中で併用軌道部分(国道50号)の渋滞解消の為の撤去要請などもあり1965年6月11日に当該区間を廃止、続いて1966年5月31日に全線が廃止となった。現在、桜川に架かる結城街道の水門橋にかつての軌道の痕跡が残っており、石碑が置かれている。その他、廃線時に集められた架線鉄塔が湊線の駅で電柱として再利用されたりしている。
後に開業した「大洗鹿島線」にて、より郊外側の区間を直進する形で水戸と大洗は再び鉄路で結ばれる事となる。なお、大洗鹿島線の大洗駅は水浜電車の大洗電停とは全く別の場所にあり、むしろ磯浜電停に近い。
停留所一覧
上水戸 - 湊
停留所名 | 距離 | 開業 | ■乗り換え路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
上水戸 かみみと |
0.0 | 1944年8月1日 | ■茨城線 大学前駅方面へ乗り入れ | 水戸市 |
谷中 やなか |
0.3 | 1927年5月27日 | ||
馬口労町入口 ばくろうちょういりぐち |
0.5 | 1927年5月27日 | 水高前とも。高等学校前(こうとうがっこうまえ)から1953年以前に改称。 | |
一中前 いっちゅうまえ |
0.7 | 1957年以降 | ||
砂久保 すなくぼ |
1.0 | 1927年5月27日 | 久保町(くぼちょう)から1953~64年頃に改称。 | |
公園口 こうえんぐち |
1.4 | 1927年5月27日 | ||
大工町 だいくまち |
1.8 | 1925年2月26日 | 向井町広小路(むかいちょうひろこうじ)から1934年以降に大工町広小路に改称。1964年以前に大工町に改称。 | |
大工町 だいくまち |
不明 | 1925年2月27日 | ↑の大工町とは別。1934年以降に廃止。 | |
泉町四丁目 | 不明 | 不明 | 詳細不明。 1925年頃に存在したと思われる。 |
|
泉町三丁目 いずみちょうさんちょうめ |
2.0 | 1925年2月27日 | 泉町二丁目(いずみちょうにちょうめ)から1934年以降に改称。 | |
泉町一丁目 いずみちょういっちょうめ |
2.2 | 1957年以降 | ||
南町四丁目 みなみまちよんちょうめ |
2.5 | 1925年2月27日 | 泉町広小路(いずみちょうひろこうじ)から1964年以前に改称。 | |
南町三丁目 みなみまちさんちょうめ |
2.8 | 1925年2月27日 | ||
郵便局前 ゆうびんきょくまえ |
3.1 | 1924年7月21日 | 南町広小路(みなみまちひろこうじ)から1930年以前に改称。 | |
水戸駅前 みとえきまえ |
3.6 | 1924年7月21日 | ■常磐線 ■水郡線 1965年に移転。 |
|
本社前 ほんしゃまえ |
不明 | 1924年7月21日 | 柵町(さくまち)から1964年以前に改称。1966年6月1日廃止。 | |
(不明) | 不明 | 1934年以前 | 詳細不明。 1953年以前に廃止。 |
|
三高下 さんこうした |
4.0 | 1949年以降 | 師範学校下とも。三高下(さんこうした)から1958年以降に県立原子力館前(けんりつげんしりょくかんまえ)に改称。1964年以前に再び改称。 | |
一高下 いちこうした |
4.3 | 1924年7月21日 | 中学校前(ちゅうがっこうまえ)から1930年以前に改称。 | |
日赤入口 |
不明 | 1934年以前 | 詳細不明。 1956年以降に廃止。 |
|
東柵町 ひがしさくまち |
5.0 | 1923年11月15日 | ||
本一町目 ほんいっちょうめ |
5.4 | 1923年6月30日 | 根積町(ねずみちょう)から1930年以前に改称。 | |
本三町目 ほんさんちょうめ |
5.7 | 1923年6月30日 | 水戸電気鉄道の下水戸駅から700m程だった。 | |
(エデンホール前) | 不明 | 不明 | 詳細不明。本四町目に作られたとされているが、本三町目と同じなのではないか、エデンではなく醤油会社の井伝なのではないか等と諸説あるらしい。 | |
本五町目 ほんごちょうめ |
5.9 | 1923年6月30日 | ||
本七町目 ほんななちょうめ |
6.2 | 1923年6月30日 | 1930年以前に廃止された。 | |
浜田 はまだ |
6.3 | 1922年12月28日 | ||
谷田 やだ |
7.5 | 1922年12月28日 | ||
六反田 ろくたんだ |
8.5 | 1922年12月28日 | ||
栗崎 くりざき |
9.5 | 1923年6月30日 | ||
稲荷小下 いなりしょうした |
10.0 | 1964年以降 | ||
大串 おおくし |
11.3 | 1922年12月28日 | ||
塩ヶ崎 しおがさき |
12.6 | 1922年12月28日 | ||
平戸 ひらと |
14.1 | 1922年12月28日 | ||
磯浜 いそはま |
15.1 | 1922年12月28日 | 大洗町 | |
大貫 おおぬき |
15.5 | 1926年12月14日 | 鹿島軌道の大貫停留所は離れた場所で開業した。 | |
曲松 まがりまつ |
16.4 | 1926年12月14日 | ||
仲町 なかちょう |
不明 | 1930年以前 | 1960年以前に廃止。 | |
東光台 とうこうだい |
17.4 | 1926年12月14日 | 大洗裏とも。 | |
(北大洗) |
不明 | 1926年以前 | 詳細不明。 1930年11月までに廃止。 |
|
大洗 おおあらい |
18.0 | 1926年12月14日 | 1960年以前に移転。 | |
祝町 いわいまち |
18.4 | 1926年12月14日 | 1966年6月1日廃止。 | |
願入寺入口 がんにゅうじいりぐち |
不明 | 1934年以前 | 1966年6月1日廃止。 | |
海門橋 かいもんきょう |
20.0 | 1927年2月3日 | 1966年6月1日廃止。 | |
湊 みなと |
20.5 | 1930年11月22日 | 海門橋の崩落によって1938年6月頃より休止。 1966年6月1日廃止。 |
ひたちなか市 |
谷中 - 袴塚
茨城交通の設立と上水戸駅への接続に伴い使用されなくなった区間。
停留所名 | 距離 | 開業 | ■乗り換え路線・備考 | 所在地 |
---|---|---|---|---|
谷中 やなか |
0.0 | 1927年5月27日 | 水戸市 | |
上水戸 かみみと |
不明 | 茨城線と接続している上水戸駅とは別だが場所は近い。 1944年8月1日より休止。 1953年10月20日廃止。 |
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袴塚 はかまつか |
0.4 | 1928年7月10日 | 1944年8月1日より休止。 1953年10月20日廃止。 |
関連動画
関連項目
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