あなたは、風船おじさんをご存知だろうか?
名前だけは聞いたことがあるけど、実際どういうことをしていた人かは知らない人も多いのではないだろうか?
本記事では、風船おじさんと呼ばれた男、鈴木嘉和のミステリーについて紹介しよう。
そして、彼が人々の前から姿を消すことになった騒動を、風船おじさん行方不明事件と呼ぶこともある。
曖昧さ回避
- テレビ番組『世界の果てまでイッテQ!』において、しぼんでいく巨大な風船の中に出川哲朗が閉じ込められ、なんとかして抜け出そうとした結果、風船から頭部だけ出てしまった状態を評した言葉。この風船おじさんの行動も絶対に真似しないように。下手すれば窒息死である。ちなみに出川は、別の回で風船のゴンドラで空を飛んだこともある。
概要
鈴木嘉和は、かつてヤマハの契約社員として勤めていたピアノ調律師だった。
それがどういうわけか起業家となり、あらゆる事業に手を出したが全て失敗に終わってしまう。もちろん彼は借金まみれとなり、約5億円もの負債を背負ってしまった。
借金苦に追い詰められ、悩んだ(かどうかは定かではないが)彼の答えは、こうだった。
( ゚Д゚) ( ゚Д゚) ( ゚Д゚) ( ゚Д゚) ←債権者の皆さん(※人数は適当です)
こうして風船おじさんと呼ばれるようになる彼の冒険の日々が始まる。
多摩川からちょっと風船で飛んでみた
最初に行われた風船飛行は、府中の多摩川から千葉の九十九里浜を目指すという大冒険計画から始まった。
風船おじさんは、警察の制止を振り切って飛行を断行。5メートルと3メートルの風船を各2個を括りつけた椅子に乗って大空へと舞い上がった。
ここまでは風船おじさんの計画通りだったが、なんと椅子に付けていた重石の紐が切れるというアクシデントが発生!
重石を失ったことで、風船おじさんは予定の高度を大きく越えて上昇してしまう。
焦った風船おじさんは飛び降り…なんてことはせず、5メートルの風船の紐をライターで切り、高度を落としていく作戦に出た。この思惑はなんとか上手くいき、風船おじさんは約24キロ離れた大田区の民家の屋根に不時着した。
不時着後、おじさん自体の被害は左手に軽傷を負う程度で済んだ。その後警察の人にはこってり絞られていたが、成功してれば次はハワイに行くつもりだったと宣言し、周囲を呆れ果てさせた。
ちなみに不時着された家は、屋根の瓦が何枚か割れて、アンテナも折れ曲がってしまったが、細かいことは気にしない風船おじさんはその被害者宅に謝罪及び弁償は一切なかったという。
アメリカに行こうと思うんだが…―ファンタジー号事件―
風船おじさんはヘリウム風船をたくさん括りつけたゴンドラ『ファンタジー号』に乗り、琵琶湖の湖畔で飛行実験を行なうことになった。周囲には彼の支援者やマスコミが押しかけて見物していた。
予定では200mから300m上昇するだけの簡単な実験のはずだったが、120mほど浮かび上がると地上に一度降りてきて、少し経ってから牽引用のロープを外した。当時呼び付けられていた大学教授が「どこへ行くんだ」と尋ねると
と答え、周囲が止めるのを聞かずに飛んでいってしまった。一応ゴンドラの中にはアメリカまでの横断を想定した荷物が積んであったとのことである。
風船おじさんの計画では、このままジェット気流に乗れれば、40時間でアメリカに到達する予定となっていた。
翌日、携帯電話(※1992年時点のものです)から「朝焼けが綺麗だよ」という連絡こそあったが、2日後に救難信号が発せられて、海上保安庁の捜索機が飛び立つ騒ぎとなった。
しかし捜索機が向かってみると、風船おじさんは手を振ったり座り込んだりするなどして、SOS信号を止めてしまった。それから捜索機は3時間ほど監視していたが、雲間に消えてしまったために捜索を打ち切るほかなくなった。
宮城県の金華山沖の上空での出来事だった。
その後、風船おじさんの消息を知る者は誰もいない…………。
その他いろいろ
- 風船おじさんというのはマスメディアが付けたアダ名である。しかし多摩川での飛行実験の失敗を見るや「関わっちゃマズイ」と思ってしまったのか、距離を置くようになった。琵琶湖の時に駆けつけたのはフジテレビだったが、朝日新聞社の通信局長も現場にいたという。
- 風船おじさんは無線の免許を持っていなかった。ゴンドラに風船を付けるなどの作業もかなり苦労していたそうだ。
- 多摩川で飛ぶ前から、風船おじさんは破天荒な行動を見せており1989年の横浜万博では集客対策不足に不満を覚えて、着ぐるみを着て塔に登り、7時間立て篭もるなどして抗議していた。
- 専門家曰く「風船でアメリカになんて行けるわけねーだろ」というツッコミがある他、「風船がアメリカまで保つはずもないから、恐らく海に落ちて死んでいるだろう」という見解を示している。
- しかし、公式上の記録において、風船おじさん及びファンタジー号の遺留品などが見つかったという情報はない。もしかしたら20年以上経った今でも、ファンタジー号と風船おじさんはどこかを飛んでいるのかもしれない。
- アラスカで遺体発見との報もあるがこれは事実無根のデマである。
- 後述の関連動画においても、おじさんの遭難・失踪オチは笑い話であるかのように語られているが、残された家族は笑い話で済まされたらたまったもんではない。特に奥さんは風船おじさんの残していった借金を必死になって返しているらしく、かなり苦労されているようだ。
- 1998年のインタビュー時点では、風船おじさんは戸籍上は生きていることになっている。しかしその時の話でも「失踪届けを出そうかと思っている」と心が折れかけていたご様子だったので、現在どうなっているかは不明。
- 「カールじいさんの空飛ぶ家」という映画が公開されて、この事件を思い出した人は多いだろう。
- ダーウィン賞を語る上で、このおじさんが引き合いに出されたり話題にのぼる事も少なくない。というのも2008年、ブラジルのアデリール・アントニオ・デ・カルリ神父が、「ヘリウム風船での長時間飛行記録に挑戦した末に沖合い上空へ流され遭難する」という風船おじさん同様の死に様でダーウィン賞を受賞しているため。ただし彼は3ヵ月後に無事遺体が回収されている。ちなみに風船おじさん自身は失踪時点で既に子供がいたため、ダーウィン賞の対象にはなっていない。
良くも悪くも、風船おじさんは今や伝説の人となっている。
関連動画
関連項目
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