テト攻勢 →
1. 世界史上の事件。ベトナム戦争中の1968年1月に発生した北ベトナムによる攻勢。下記で詳述。
2. 2008年4月1日よりニコニコ動画において進行中の攻勢作戦である。テト攻勢(重音テト)を参照。
テト攻勢は、ベトナム戦争中の1968年1月、ベトナム旧正月(テト)に展開された北ベトナムによる侵攻作戦である。
背景
当時、ベトナム国内において中国・ソ連の支援を受けた北ベトナムと、米国の支援を受けた南ベトナムが国を2分するベトナム戦争を展開していた。(詳細な経過はベトナム戦争の記事を参照。)
こうした戦争のさなかでもベトナム国内の旧正月(テト)においては休戦をするのが習わしであったが、1968年1月のテトに、北ベトナム軍がこの慣例を破って南ベトナムへの軍事侵攻作戦を展開した。
事態の経過
北ベトナム軍は南部の主要都市サイゴンの国際空港やアメリカ大使館を攻撃目標に設定し、侵攻を展開。この攻勢により、一時アメリカ大使館が占拠される事態となった。
サイゴンと並ぶ重要攻撃目標とされた主要都市フエでは、大規模な市街戦が展開されることとなった。また、この際には北ベトナム及び南ベトナム解放戦線(いわゆるベトコン)による、南ベトナム軍・政府関係者への大量処刑が路上で行われ、無関係な一般市民も多数犠牲となったと言われている。
米軍・南ベトナム軍はこれに対し、空爆により応戦し、結果的に北ベトナム軍は撤退。攻勢は失敗に終わった。
この際に、北ベトナム軍は3万を越える戦死者を出し、被害は都市部の民間人にも及んだ。
その後の影響
上記のとおり軍事作戦そのものは失敗に終わったものの、米国大使館占拠の映像等が国際メディアに流れることにより、当時の民主党ジョンソン政権は国内世論からの批判にさらされることとなった。
特に世界に衝撃を与えた映像として有名なのが、南ベトナムの警察長官「グエン・ゴク・ロアン(阮玉灣)」がベトコンの捕虜「グエン・ヴァン・レム(阮文歛)」と推定される男を路上で射殺するシーンである。撃たれた男が頭から鮮血を吹き出して路上に倒れ伏すシーンは世界中に衝撃を与え、アメリカによるベトナム内戦への大規模介入が国際世論から大きな非難を浴びる結果となった。
撮影者のエディ・アダムズにより『サイゴンでの処刑』と名付けられた写真は、1969年度のピューリッツァー賞ニュース速報写真部門を受賞した。
ちなみにこの映像は、歴史ドキュメンタリーとして名高いNHK『映像の世紀』にも収録されており、現在の日本でも目にすることが出来る。ただし衝撃的な映像なので視聴の際は十分に注意していただきたい。
ロアンがレムを射殺した背景には、彼がベトコンによる警察官およびその家族の殺害に関与しており、彼が射殺されたすぐ近くには、縛られた上で撃ち殺された遺体が34体もあったという。たまたまレムがその場に居合わせたのか、殺害を指揮したかには諸説あり、確証を得られていないが、現在ではロアンが射殺された同胞や家族の「報復」を行ったと見る向きが強い。
エディ・アダムズは後にアメリカに亡命したロアンが誹謗中傷によって迫害されている事実を知り、写真を撮影した事への後悔を吐露し、彼とその家族に謝罪。1998年にロアンが亡くなった時には
と述べている。
結果的に米国の国内世論は反戦に大きく傾いていくこととなり、与党民主党は同年内の大統領選で野党共和党に敗北。1970年に発足したニクソン政権はベトナム撤退に動くことになり、最終的に1973年には米軍がベトナムから完全撤退し、ベトナム戦争は終結した。
この意味で、侵攻は失敗したものの、ベトナム戦争におけるアメリカ敗北への大きな鍵を握る事件となった点は否めない。
関連動画
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関連コミュニティ
関連項目
- 世界史
- 軍事
- 冷戦
- ベトナム戦争
- 米軍
- ジョン・F・ケネディ (ベトナム内戦への介入を決断したアメリカ大統領。在任中の1963年に暗殺。)
- リンドン・ジョンソン (テト攻勢発生時のアメリカ大統領。ケネディ暗殺により副大統領から昇格。)
- リチャード・ニクソン (テト攻勢の影響で高まった反戦世論を背景に1970年に大統領に選出。ベトナム戦争終結に尽力するもウォーターゲート事件で失脚。)
- 映像の世紀 (20世紀を描いたNHKの歴史ドキュメンタリー。ベトナム戦争・テト攻勢は第9集で登場。)
- フルメタル・ジャケット (著名なベトナム戦争映画。テト攻勢におけるフエ市街戦のシーンが登場する。)
- Call of Duty: Black Ops (ベトナム戦争・テト攻勢が登場する著名なFPSゲーム。)
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