淡島ヒルコさんのページ ユーザー

4.1千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

>淡島ヒルコさん自身のユーザ記事を編集しないと、ニコニコ大百科の編集はできません。

と言われたので書きます。
自己紹介や連絡先は http://www.nicovideo.jp/user/967874exit_nicovideo をご覧ください。

蛭子の神様あやかりたいのでこのハンドルネームを名乗っています。
名前負けしてますが頑ります。

 

動画の話

源頼政に関するメモ

①辞世の句

うもれぎの はなさくこともなかりしに みのなるはてぞ かなしかりける

「実のなる果て」? → 「人生パッとしなかったなあ」(意訳)
掛詞で「身の成る果て」? → 「なんで出世しちゃったんだろうなあ」(意訳)

どちらにしても、従三位まで出世しておきながら、それまでの人生を「埋もれ木」と評するのは、いくらなんでも屈しすぎな印を受ける。なにがそこまで不満だったのか? 平氏に反旗を翻した理由は? 『平家物語からして、頼政の謀反は「よしなきこと」と、辛い評価をつけている。
その「よしなき」謀反歴史の転換点になったのは皮ではあるが。

②頼政は平氏政権に不満があったの?

あったと思うよ?
ただし、研究者の中には、頼政が謀反を画策したのではなくて、以仁王や嫡男の仲綱が首謀者であり、頼政はそれに巻き込まれただけだと考える人もいる。それももっともなことだと思う。
(どちらにしても、名木下」の奪い合いから謀反に発展したというのは流石理があると思う)

なのでここから先は筆者の全な妄想だけど、頼政の人となりを足跡から想像する限り

鳥羽院と美福門院の系統に忠勤を尽くしている
・保元・平治の乱での役割は「天皇の警護」
創作ではあるだろうけど「勅命に応じて」退治をしている

的な感じで、「勤皇」の側面がやたらとに付く。
特に1点の代から鳥羽天皇に仕えていて、その後頼政が大内守護として仕えた天皇は、後白河鳥羽の子)、二条(後白河の子)、六条(二条の子)と、「最初の君の一族」だった。
その後、六条→高倉と、系統の違う天皇に(しかも、甥から叔父へ譲位という不自然な譲位)譲位され、安徳天皇が即位するにあたって頼政は出している。

もしかすると頼政は
大内守護として、自分の天皇を警護する役割にはわりと満足していて誇りもあって
鳥羽天皇の系統が平氏政権にないがしろにされることに対して結構不満があった
のかもしれないね。
そうすると「官位に対する不満の歌」は、自嘲するだけじゃなくて、暗に政権への不満を漏らしていたのかも?

そうすると「武な勤皇武士としての頼政」と「政治家としての頼政」の顔が、綺麗に二分割され、実は参謀的な人物が後者の側面を支えてたりしたら面いよねー
そんな頼政のキャラ造形を考えてみた。

動画中では触れませんでしたが、自害の作法として切腹がまだ一般的でなかったころに、臣に「君の首を打つことはできません」と言われて、自分がを裂いて「絶命してから」首を打て、と伝えたエピソードは、実は頼政のすごく武士らしいエピソードだと思うんです。

③伝説が多い人物ですよね

多すぎるぐらい多い。

退治 → 木下伝説、うつほ舟の伝説、頼政の伝説などに
御前
・扇の芝

などなど。しかも後世に似たような説話が他の人物にあったりして(御前を選ぶ話など)、実も蓋もない言い方をすれば、頼政は美化された人物だと思う。平氏打倒のきっかけを作った「悲劇の英雄」としてり上げられた感がある。
※だいたい平家物語の「」の段って唐突に挿入されすぎじゃね?

物語でも、後世に成立した版では源義朝クーデターに協してたりするのは、「反・平氏」の英雄として彼を描きたいための加筆のような気がした。違うかもしんない。

とはいえ、これだけエピソードのある人物を「これはただの伝説じゃあ! 後世の創作じゃあ!」と切り捨ててしまうのはアマチュア歴史好きのスタンスに反すると思うので、

ぬえ木下御前

という形で強引に各種伝説をつなげてみようと思った。
あんまり綺麗に消化できていないのは詰め込みすぎと練りこみ不足ですね。
こんなところまで読んでいただいてありがとうございました

 

壬申の乱とその関係者に関するメモ

天智・天武天皇について

申の乱に関する参考文献をあれこれ読んでみたところ、天皇側に乱の計画性があったことは多分間違いないだろうと思えるようになりました。
でも、の政策を見る限り、意は分からないとしてもの基本路線を踏襲しているように思えるので、たとえ乱に計画性があったとしても、天皇は私利私欲で乱を起こしたわけではないだろう……と考えました。

というわけで動画では

天智天皇……苛果断な覇王タイプ
天皇……一見温厚に見えるが、冷酷にもなれる、というタイプ

で描きました。
ただ、天皇籍にならって劉邦だったり色んな英雄だったりになぞらえられているところは天皇自身の命というより、「周囲の祭り上げ」の匂いがします。
武帝自身、それを認めてはいたのでしょうけど)
なので、「冷酷になれ」と自分に命じつつも冷酷になりきれないところがある、的な描き方をさせていただきました

ただ、両天皇とも「悪役」を演じていただくことになるので不敬コワイ不敬コワイということでシルエットに……

※登場人物に皇族が多いので、全ての方をシルエットにはしませんでした。
厳密に言うと額田さんもシルエットだもんね!

動画中では突っ込みませんでしたが、公式記録である『日本書紀』ですら、天皇の生年が記されていない点は
突っ込むと色々怖い陰謀論の根拠になり得るので、動画中ではスルーしました。

舎人王が顕在なら、不等と言えどもこれを削除することは理だと思うんですが……
これは未解決のということで。

藤原不比等について

私の中の不イメージ全に『上の』なんですが(青年時代まで「史」表記なのもその
父親足と仲のいいイメージがあれこれの史料からは全く伝わってこなかったので、
仲悪いんじゃねこ子? という発想から
「晩年、天皇に接近した足」というイメージと対させて
近江朝廷寄りの立場をとる不等」というキャラ造形を考えました。

というのも、基本的にはな(※平清盛にも豊臣秀吉もこういう説ありますし……)「不等ご落胤説」を使うことで、

大友皇子異母兄弟近江朝廷に肩入れする理由&礼としくなる理由
足との不和を演出できる
竹取物語の「くらもちの皇子」と繋げられる

と思ったからです。
実際は、『書紀』などでも足の功績を強調している(のは、不等の筆だろうという前提で)などの点を考えれば、好悪の感情はともかくとしてライン藤原氏の権を盤石にすることを考えていただろうことから、やっぱり父親足なんじゃないでしょうか。

本来なら持統―ラインに食い込んでいく不等の出世シーンも描きたかったのですが、「申の乱」と『古事記』をテーマにしている以上、そのシーンの重要性はあまり高くなかったのでカットしてしまいました。
うーん、飛鳥時代いです。別の機会があればまた何かやりたいです。

稿では「人の心を喰らうのがこの世で一番うまい食べ物」とするアカギと不等のイメージは重なるよなーと思ってたんですが、
仕上がってみると、不等はアカギじゃなかったですね……
アカギの「不合理を好む」性格は、政治家とは本来相容れない性格だったのかもしれません。
でも、カッコいいアカギモデルを作ってくださった様には本当に感謝です。
これはこれでクールデレアカギ等が描けたので満足です。

この動画中の設定では、妹紅年齢古事記編纂勅の時期をいじれば、妹紅は不等と阿礼の子供であるという設定も不可能ではないんですが、それはさすがに色々問題があるなと思ったので、悲になっちゃいました。ごめんなさい。だれか描いて! ネチョく!

古事記の周辺について

分からないすぎる……の一言です。
古事記の編纂開始時期、日本書紀との関係、稗田阿礼について、論者によってこんなにが異なるとは思ってませんでした。
歴史学なめてましたすみません。

個人的には女性説が一番好きです。
古事記序文の「舎人」という記述さえなんとか説明できれば、礼の不可解な点をあれこれ説明できるので優秀な説だと思っています。

当初のプロットから、礼の書いた原『古事記』が検閲・編集されてしまい、その思いを引き継いた不等(と安万侶)が元明天皇への献上を果たす、というストーリーラインは考えていましたが、
2回の編纂の時点に礼が「存命である」必要はあるだろうか? とか気づいて、あっきゅんにはヘビーな設定をあれこれ追加させてもらいました。

阿求の短命設定を抜きにしても、元明天皇への献上の際「勅命からわずか9カで『古事記』が献上されている」点はあまりにも不自然だと思います。
日本書紀は40年近くかかっているのに……
するとやはり、天皇の在世中に一度文書として『古事記』は完成していた……と見たいところです。

冷静に考えると、それでも『日本書紀』よりかに高速で『古事記』は作られたことになるわけで礼も安万侶もすごいですよね。

額田王について

日本書紀での字面「王」が好きだったので、こちらを採用させてもらいました。
においてその晩年が優遇されていないことや、万葉集の歌を見る限り、額田王が思いを寄せていたのはどちらかというとのほうじゃないかなあ……と個人的には思っているのですが、動画中ではぼかしました。
※なにせキャストミクさんだから、人は演じさせづらいってのもあります

あ、でも、
有名な「あかねさす」の歌が、万葉集では「相聞歌」でなく「雑歌」に分類されていることから武帝に贈った歌はの席での冗談だよ、というが一般的な件については

「それ「相聞歌」に分類はできんだろ、武帝の立場的に考えて……」
と思ってます。ガチ不倫告白するようなもんになっちゃいますがな。

案外、「両方が人だった」というのが実情に近いのかもしれませんね。


こんな駄文を読んでいただきありがとうございました

 

この記事を編集する

掲示板

掲示板に書き込みがありません。

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
山口剛央[単語]

提供: Pyun Pyun

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/05/23(木) 16:00

ほめられた記事

    ウォッチリストに追加しました!

    すでにウォッチリストに
    入っています。

    OK

    追加に失敗しました。

    OK

    追加にはログインが必要です。

               

    ほめた!

    すでにほめています。

    すでにほめています。

    ほめるを取消しました。

    OK

    ほめるに失敗しました。

    OK

    ほめるの取消しに失敗しました。

    OK

    ほめるにはログインが必要です。

    タグ編集にはログインが必要です。

    タグ編集には利用規約の同意が必要です。

    TOP