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と言われたので書きます。
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水蛭子の神様にあやかりたいのでこのハンドルネームを名乗っています。
名前負けしてますが頑張ります。
うもれぎの はなさくこともなかりしに みのなるはてぞ かなしかりける
「実のなる果て」? → 「俺の人生パッとしなかったなあ」(意訳)
掛詞で「身の成る果て」? → 「なんで俺出世しちゃったんだろうなあ」(意訳)
どちらにしても、従三位まで出世しておきながら、それまでの人生を「埋もれ木」と評するのは、いくらなんでも鬱屈しすぎな印象を受ける。なにがそこまで不満だったのか? 平氏に反旗を翻した理由は? 『平家物語』からして、頼政の謀反は「よしなきこと」と、辛い評価をつけている。
その「よしなき」謀反が歴史の転換点になったのは皮肉ではあるが。
あったと思うよ?
ただし、研究者の中には、頼政が謀反を画策したのではなくて、以仁王や嫡男の仲綱が首謀者であり、頼政はそれに巻き込まれただけだと考える人もいる。それももっともなことだと思う。
(どちらにしても、名馬「木下」の奪い合いから謀反に発展したというのは流石に無理があると思う)
なのでここから先は筆者の完全な妄想だけど、頼政の人となりを足跡から想像する限り
・鳥羽院と美福門院の系統に忠勤を尽くしている
・保元・平治の乱での役割は「天皇の警護」
・創作ではあるだろうけど「勅命に応じて」鵺退治をしている
的な感じで、「勤皇家」の側面がやたらと目に付く。
特に1点目、父の代から鳥羽天皇に仕えていて、その後頼政が大内守護として仕えた天皇は、後白河(鳥羽の子)、二条(後白河の子)、六条(二条の子)と、「最初の主君の一族」だった。
その後、六条→高倉と、系統の違う天皇に(しかも、甥から叔父へ譲位という不自然な譲位)譲位され、安徳天皇が即位するにあたって頼政は出家している。
もしかすると頼政は
・大内守護として、自分の弓で天皇を警護する役割にはわりと満足していて誇りもあって
・鳥羽天皇の系統が平氏政権にないがしろにされることに対して結構不満があった
のかもしれないね。
そうすると「官位に対する不満の歌」は、自嘲するだけじゃなくて、暗に政権への不満を漏らしていたのかも?
そうすると「武骨な勤皇武士としての頼政」と「政治家としての頼政」の顔が、綺麗に二分割され、実は参謀的な人物が後者の側面を支えてたりしたら面白いよねー
そんな頼政のキャラ造形を考えてみた。
動画中では触れませんでしたが、自害の作法として切腹がまだ一般的でなかったころに、家臣に「主君の首を打つことはできません」と言われて、自分が腹を裂いて「絶命してから」首を打て、と伝えたエピソードは、実は頼政のすごく武士らしいエピソードだと思うんです。
多すぎるぐらい多い。
・鵺退治 → 木下の伝説、うつほ舟の伝説、頼政の母の伝説などに派生
・菖蒲御前
・扇の芝
などなど。しかも後世に似たような説話が他の人物にあったりして(菖蒲御前を選ぶ話など)、実も蓋もない言い方をすれば、頼政は美化された人物だと思う。平氏打倒のきっかけを作った「悲劇の英雄」として祀り上げられた感がある。
※だいたい平家物語の「鵺」の段って唐突に挿入されすぎじゃね?
平治物語でも、後世に成立した版では源義朝のクーデターに協力してたりするのは、「反・平氏」の英雄として彼を描きたいための加筆のような気がした。違うかもしんない。
とはいえ、これだけエピソードのある人物を「これはただの伝説じゃあ! 後世の創作じゃあ!」と切り捨ててしまうのはアマチュアの歴史好きのスタンスに反すると思うので、
という形で強引に各種伝説をつなげてみようと思った。
あんまり綺麗に消化できていないのは詰め込みすぎと練りこみ不足ですね。
こんなところまで読んでいただいてありがとうございました。
壬申の乱に関する参考文献をあれこれ読んでみたところ、天武天皇側に乱の計画性があったことは多分間違いないだろうと思えるようになりました。
でも、天武朝の政策を見る限り、真意は分からないとしても天智朝の基本路線を踏襲しているように思えるので、たとえ乱に計画性があったとしても、天武天皇は私利私欲で乱を起こしたわけではないだろう……と考えました。
というわけで動画では
・天智天皇……苛烈果断な覇王タイプ
・天武天皇……一見温厚に見えるが、冷酷にもなれる、というタイプ
で描きました。
ただ、天武天皇が漢籍にならって劉邦だったり色んな英雄だったりになぞらえられているところは天武天皇自身の命というより、「周囲の祭り上げ」の匂いがします。
(天武帝自身、それを認めてはいたのでしょうけど)
なので、「冷酷になれ」と自分に命じつつも冷酷になりきれないところがある、的な描き方をさせていただきました。
ただ、両天皇とも「悪役」を演じていただくことになるので不敬コワイ不敬コワイということでシルエットに……
※登場人物に皇族が多いので、全ての方をシルエットにはしませんでした。
厳密に言うと額田さんもシルエットだもんね!
動画中では突っ込みませんでしたが、公式の記録である『日本書紀』ですら、天武天皇の生年が記されていない点は
突っ込むと色々怖い陰謀論の根拠になり得るので、動画中ではスルーしました。
舎人親王が顕在なら、不比等と言えどもこれを削除することは無理だと思うんですが……
これは未解決の謎ということで。
私の中の不比等イメージは完全に『天上の虹』なんですが(青年時代まで「史」表記なのもその影響)
父親・鎌足と仲のいいイメージがあれこれの史料からは全く伝わってこなかったので、
仲悪いんじゃねこの親子? という発想から
「晩年、天武天皇に接近した鎌足」というイメージと対比させて
「近江朝廷寄りの立場をとる不比等」というキャラ造形を考えました。
というのも、基本的には眉唾な(※平清盛にも豊臣秀吉にもこういう説ありますし……)「不比等ご落胤説」を使うことで、
・大友皇子と異母兄弟=近江朝廷に肩入れする理由&阿礼と親しくなる理由
・鎌足との不和を演出できる
・竹取物語の「くらもちの皇子」と繋げられる
と思ったからです。
実際は、『書紀』などでも鎌足の功績を強調している(のは、不比等の筆だろうという前提で)などの点を考えれば、好悪の感情はともかくとして鎌足ラインの藤原氏の権力を盤石にすることを考えていただろうことから、やっぱり父親は鎌足なんじゃないでしょうか。
本来なら持統―草壁ラインに食い込んでいく不比等の出世シーンも描きたかったのですが、「壬申の乱」と『古事記』をテーマにしている以上、そのシーンの重要性はあまり高くなかったのでカットしてしまいました。
うーん、飛鳥時代面白いです。別の機会があればまた何かやりたいです。
草稿では「人の心を喰らうのがこの世で一番うまい食べ物」と豪語するアカギと不比等のイメージは重なるよなーと思ってたんですが、
仕上がってみると、不比等はアカギじゃなかったですね……
アカギの「不合理を好む」性格は、政治家とは本来相容れない性格だったのかもしれません。
でも、カッコいいアカギモデルを作ってくださった鎌様には本当に感謝です。
これはこれでクールデレなアカギ不比等が描けたので満足です。
この動画中の設定では、妹紅の年齢や古事記編纂勅令の時期をいじれば、妹紅は不比等と阿礼の子供であるという設定も不可能ではないんですが、それはさすがに色々問題があるなと思ったので、悲恋になっちゃいました。ごめんなさい。だれか描いて! ネチョく!
分からないすぎる……の一言です。
古事記の編纂開始時期、日本書紀との関係、稗田阿礼について、論者によってこんなに主張が異なるとは思ってませんでした。
歴史学なめてましたすみません。
個人的には阿礼女性説が一番好きです。
古事記序文の「舎人」という記述さえなんとか説明できれば、阿礼の不可解な点をあれこれ説明できるので優秀な説だと思っています。
当初のプロットから、阿礼の書いた原『古事記』が検閲・編集されてしまい、その思いを引き継いた不比等(と安万侶)が元明天皇への献上を果たす、というストーリーラインは考えていましたが、
2回目の編纂の時点に阿礼が「存命である」必要はあるだろうか? とか気づいて、あっきゅんにはヘビーな設定をあれこれ追加させてもらいました。
阿求の短命設定を抜きにしても、元明天皇への献上の際「勅命からわずか9カ月で『古事記』が献上されている」点はあまりにも不自然だと思います。
※日本書紀は40年近くかかっているのに……
するとやはり、天武天皇の在世中に一度文書として『古事記』は完成していた……と見たいところです。
冷静に考えると、それでも『日本書紀』より遥かに高速で『古事記』は作られたことになるわけで阿礼も安万侶もすごい才能ですよね。
日本書紀での字面「姫王」が好きだったので、こちらを採用させてもらいました。
天武朝においてその晩年が優遇されていないことや、万葉集の歌を見る限り、額田王が思いを寄せていたのはどちらかというと天智帝のほうじゃないかなあ……と個人的には思っているのですが、動画中ではぼかしました。
※なにせキャストがミクさんだから、恋人は演じさせづらいってのもあります
あ、でも、
有名な「あかねさす」の歌が、万葉集では「相聞歌」でなく「雑歌」に分類されていることから天武帝に贈った歌は酒の席での冗談だよ、という主張が一般的な件については
「それ「相聞歌」に分類はできんだろ、天武帝の立場的に考えて……」
と思ってます。ガチ不倫を告白するようなもんになっちゃいますがな。
案外、「両方が恋人だった」というのが実情に近いのかもしれませんね。
こんな駄文を読んでいただきありがとうございました。
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最終更新:2024/05/23(木) 16:00
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