ほぼほぼとは、「ほぼ」とほぼほぼ同じ意味の言葉である。
概要
要するに「ほぼ」を強調した言葉であるとされ、「ほぼ」が「9割方」や「十中八九」に近いニュアンスであるのに対し「ほぼほぼ」は「限りなく100%に違いが例外もある」といったニュアンスで、「ほぼよりは完全に近いさまを表す言葉」として、一部の人たちの間で使用されている(と見られている)。
なんとなく正しい日本語じゃない感じもする。一般的な国語辞典には掲載されていないようでもあり、最近生まれた新しい言葉なのかもしれない。
だが、本当に正式な言葉ではないのだろうか?様々な方法で確認してみたい。
学術論文での「ほぼほぼ」
まずは堅苦しい日本語が使われる場として代表的な、学術分野での「ほぼほぼ」の使われ方を確認してみよう。もし「ほぼほぼ」がそういったところでも広く使われていたのであれば、正式な日本語として安心して使用できる。
手段は国立情報学研究所のサービス「CiNii Articles」での日本語論文全文検索を利用する。
すると2016年5月26日現在時点で、「ほぼほぼ」はわずか22件しか該当論文が見つからなかった。この検索結果には誤検出――横書きの表の中に偶然、縦読みにすると「ほ」「ぼ」「ほ」「ぼ」が並んでたとか――も混じっているので、本当に使用されている例はもっと少ない。ちなみにその数少ない使用例を見ると、最も古かったのは1975年に雑誌に掲載されたもの。「ほぼ」と同様の意味で使用されていた。
同じ方法で「ほぼ」で検索した場合、約100万件もの該当論文が見つかる。これと比較すれば「誤検出を入れても22件」という「ほぼほぼ」での検索結果は、無きに等しいと言っていいレベルである。ここまで使用例が少ないと、既存の言葉として存在していたと言うには苦しい。「ほぼ」を強調して使おうとしてつい2回重ねてしまい「ほぼほぼ」という言葉を各々で造ってしまう人々が時々居た、という説明の方が自然に思える。
著作権切れ文学作品での「ほぼほぼ」
ただ、「俗な口語表現としてならば以前から存在していた。フォーマルな論文には滅多に使用できなかっただけ」という可能性はまだ残っている。
そのため、著作権が切れた古い文学作品など(および著作権者許可済みの作品)を閲覧できるサイト「青空文庫」でも「ほぼほぼ」を検索してみた。
青空文庫は崩した表現の大衆文学作品なども多く所蔵しているサイトだからして、「ほぼほぼ」が俗な表現として以前からあったものであれば、青空文庫内で使用例が見つかってもよいはずだ。
だが、こちらでは使用例は少数どころか皆無のようである(2016年5月26日現在)。ということは、「ほぼほぼ」を「古くから俗語として使われていた言葉だ」とするのもやや苦しくなってくる。
最近の動向
そんな「ほぼほぼ」だが、国語学者の意見を紹介しているウェブニュースコラム記事が存在している。以下の、2016年2月21日付の記事である。
「ほぼほぼ」の進捗率は何%? いつから出現? 専門家に聞いてみた - withnews(ウィズニュース)
こういった記事はいつか消えることが多いので、その時に備えて一部抜粋して内容を紹介すると、
- この記事を書いた記者(山本亮介)は「ほぼほぼ」を最近よく耳にするが、正直少し気になる
- 街角で15人に「ほぼほぼ」についてインタビューすると「聞いたことが無い」と答えたのは2人だけ
- 国語辞典編集者である飯間浩明さんに聞いてみたところ、飯間さんが初めて耳にしたのは2013年頃
- インターネット上のブログでは少なくとも1999年には使われている
- 日本語ではこのように副詞などを繰り返して強調とすることはよくある。例えば「そもそも」など
- よって「ほぼほぼ」も日本語として当たり前の強調表現とも言える
- しかし「ほぼほぼ」は新参者なので嫌う人も多い。公には使いにくい
- 10年後には俗語ではなく一般語と感じる若い人が増えているかも
といった内容の記事である。
この記事からしても、やはり「ほぼほぼ」は最近急速に広まってきた言葉だという可能性が高そうだ。
また、「2016年現在のところではやっぱり俗語に近く、きっちりしたところでは使わない方が無難。だけど、この先普及していけば俗語から一般語に成り上がるポテンシャルを秘めた言葉だ」……という事らしい。
この手の言葉はメディアを通じて広まりやすいものであるが、そのきっかけとなったのはTBS系で現在放送中の番組「水曜日のダウンタウン」だと言われており、2014年頃からすでに「ネットに転がっている芸能人のイイ話 ほぼほぼデマ説」や「売れてる芸人が連れてる後輩芸人 ほぼほぼポンコツ説」など、説のタイトルに使用している実例が複数ある。
関連項目
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