哲学とは・・・
- 学問のひとつ。ニコニコ動画におけるタグ付けについては「<哲学>」の項を参照のこと。
- ムチムチSUMOシリーズに高確率で付けられるタグ。
- ガチムチパンツレスリング動画につけられるタグ。
- 音楽シミュレーションゲームにおいて、あまりにも難しい譜面のこと。特に「POSSESSION(BEMANI)」(DOUBLE・CHALLENGE譜面)に使われることが多い。詳しくは「わけのわからないもの」や「どうしようもないもの」参照
一般的な用法としての哲学の概要
もともとは「知ること」について突き詰めることを意味していたため、学問全般についての言葉であったが、現代においては「言葉の意味を決め、主観的にならないようにして理屈を作っていくこと」を意味する。とても抽象的な意味であるため、様々な分野において~哲学という言葉が存在する。
辞書の記事を作る作業も「言葉の意味を決める」と言う意味で哲学のための土台である。
数や物理法則といった、この世界の基本的なルールを追求する、と言う意味において、高度な数学(論理学)は哲学の助けになるし、人間の考え方について理解する、と言う意味では宗教学、心理学、倫理学、言語学、歴史……といった分野も哲学へ向かっていく事ができる。
特定の事象ではなく、全体にとって言えるような普遍的な事柄について考えることが多いため、哲学では具体的でないものについて考えることが多い。
本記事で後述されている「ガチムチパンツレスリング動画」についても「どうしてこのような物ができてしまったのか?」「どのような人がこれを楽しんでいるのか?」「どういった部分が面白いのか?」「他のガチホモ系ではどうなのか?」「これはビリー・ヘリントンに特有の事象なのか?」「そもそもガチホモとは一体どのような定義であるのか?」……と言う、直感的に理解しがたい部分が数多く含まれているため、これも哲学になる要素は十分にないとは言えなくもない。しかし、そもそも「哲学」の言葉の定義からして、この世界のできごとに対して考えることはすべて哲学につながっているため、特にガチムチパンツレスリングに特定する事でもない。
ガチムチパンツレスリング動画につけられるタグとしての概要
「レスリングシリーズ」、「森の妖精」などと並び、ガチムチ動画に高確率でつけられる場合が多い。
(最近では「ムチムチSUMOシリーズ」の動画にも付けられる事も多い。)
現在は「義務教育」や「世界遺産」、「一般教養」など堅苦しいタグがつけられる場合もあり、 本来の意味で上記のタグで検索した人々に著しい精神的ブラクラ的効果を与える原因になっている。
「なぜ、彼らはレスリングをするのか?」
「なぜ、彼らはパンツを取るのか?」
「なぜ、私はこの動画を見ているのか?答えは、未だ見えず・・・。 」
「それが青春・・・か?」
人類の生きてきた軌跡の中で未だに定義づけられていないものが多く存在する。
その中に""生きる意味""がある。
人はなぜ存在しているのか?という漠然とした疑問にはっきりとした答えがないのである。
森の妖精たちは""それ""を闘いの中で探しているのかもしれない・・・
人類の名誉ある哲学者の歴史をたどっていくのかもしれない・・・
私たちはそれを見守らなければならないだろう。
私たちもまた彼らと同じように日々を生き抜き、辛い現実と闘い、
考えさせる存在、考えられるべき存在。それが兄貴である。
彼らは私たちに真実を与えない。彼らは私たちに真実を探すことを要求する。
なぜなら答えは一つではなく、人間の数だけ哲学があるからだ。
彼らの動画が哲学と称される所以は、そんな所にあるのかもしれない。
関連動画
関連項目
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