大門和彦単語

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ダイモンカズヒコ
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大門和彦(だいもん かずひこ)とは、元プロ野球選手である。

概要

1965年5月31日生まれ。京都府宇治市出身。

宇治高等学校に進学。チームエースとし活躍し、3年の府大会では18イニング連続奪三振記録しているが、甲子園大会出場歴はなし。

1983年ドラフト会議にて、4位名で横浜大洋ホエールズに入団。将来のエースを期待されての入団であった。同期入団には銚子利夫がいた。

入団から2年間は一軍出場し。

1986年、一軍デビューを果たすと、先発投手として起用され、28試合に登板し、4勝8敗、防御率4.71という成績を残した。

1989年先発ローテーションに定着。8勝13敗1セーブ防御率3.88とまずまずの成績を残した。

1990年は前年よりリリーフでの登板が増えたが、8勝5敗、防御率3.22と好成績を残した。

1991年、自己最多の42試合に登板して、6勝8敗、防御率3.49。

1993年、一軍登板なしに終わり、シーズン終了後、戦力外通告を受けた。その後、阪神タイガースへ移籍。ただ、阪神では5試合の登板にに終わり、同年限りで現役引退

引退後は、大洋時代の同僚であった市川和正の勧めで保険会社に就職。

現在独立し、保険代理店を営みながら、障害支援事業や整院を手掛けている。また、少年野球監督としても活動している。

人物・エピソード

切れ味鋭いフォークボール大洋投手を支えた右腕。投手ながら打撃も得意としていた。

スラッとした貌や投球フォーム・スタイルが似ていたことから、「遠藤一彦2世」と呼ばれ期待された。

1990年広島東洋カープ戦で、相手打者のロデリックアレン死球を与えた際、外野まで追い回されたシーン珍プレー好プレー大賞で取り上げられ、以降、過去の名珍プレーの一つとして何度か流されている。

通算成績

投手成績

通算:8年 登板 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 223 16 4 36 52 3 --- .409 807.0 261 558 375 346 3.86

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