- プロ野球選手一覧 > 山本和行
経歴
OB | |
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山本和行 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県広島市 |
生年月日 | 1949年6月30日 |
身長 体重 |
174cm 80kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 左投左打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1971年ドラフト1位 |
引退 | 1988年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校は広島商業高等学校に進学、1学年上には三村敏之がいた。2年時にはエースで4番として活躍し甲子園大会に出場したが1回戦で敗退。3年時は決勝まで勝ち進むも広陵高等学校に敗退し準優勝。ちなみに、この試合に勝利した広陵高校はその後の甲子園大会で準優勝している。
卒業後は亜細亜大学に進学。2年時からエースとして活躍し、4年時には1季で9勝を挙げ、最高殊勲選手、最優秀投手、ベストナインに選出された他、全日本大学野球選手権ではチーム初の日本一にも大きく貢献。在学4年間で33勝26敗、防御率1.83、351奪三振をマークした。
1971年ドラフト会議にて、阪神タイガースから1位指名を受け入団。なお、山本自身は広島が志望球団だった。
1年目から先発や中継ぎとして出番を重ね、1975年には主にリリーフとして49試合に登板。
1976年、本格的に抑え投手に転向。6勝3敗18セーブ、防御率2.92の好成績を残す。
1977年は、前年同様抑えでの起用され、リーグ最多の52試合に登板。リリーフながら規定投球回を達成し、9勝5敗9セーブの成績を残した。
1978年から先発に転向。1980年には15勝、1981年には12勝をマークし先発ローテーションを支えた。
1982年から再び抑えとして起用され、同年には15勝8敗26セーブ40セーブポイントの成績を残し、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
1984年、10勝24セーブ34セーブポイントで2度目の最優秀救援投手のタイトルを獲得。
1985年、中西清起と左右のダブルストッパー体制で起用され、この年100勝と100セーブを達成。5勝6敗11セーブの活躍でチームの21年ぶりの優勝に大きく貢献したものの、終盤の巨人戦でアキレス腱を断裂し、日本シリーズに出場はできなかった。
1986年、大怪我や年齢もあり再起不能なのではないかとの声も上がっていたが、終わってみれば49試合に登板し11勝3敗15セーブ、防御率1.67の好成績を残し、見事復活してみせた。
1988年、コーチ兼任となり700試合登板を達成。この年限りで現役を引退した。
引退後は解説者を経て広島東洋カープで投手コーチを務め、紀藤真琴の先発転向を成功させた。
人物・エピソード
キレのある速球とフォークボールを武器に強気な投球で活躍したタイガースの左の抑え投手。決め球のフォークボールは大学時代独自に編み出したものである。ピンチの場面でも表情を崩さないポーカーフェイスも印象的であった。
大卒ながら通算700試合に登板し、リリーフのみならず先発投手としても適性を見せ、100勝100セーブを達成している。
1984年オフにはメジャーリーグ移籍を訴えロサンゼルス・ドジャース入団がほぼ決まりかけていたが、当時はFA制度が無く、球団も首を縦に振らなかったため幻に終わっている。
通算成績
投手成績
通算:17年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
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NPB | 700 | 40 | 6 | 116 | 106 | 130 | --- | .523 | 1817.2 | 451 | 1252 | 823 | 739 | 3.66 | 1.19 |
獲得タイトル・記録
関連商品
関連項目
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