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曖昧さ回避 |
30系
30系導入の経緯
1970年3月に大阪万博が開催されることが決定されるのに伴い、地下鉄1号線(現在の御堂筋線)の江坂延伸が決定、江坂~万博会場間は北大阪急行に建設を担当させることが決定された。
1964年当時、東海道新幹線の開業に伴い1号線は新大阪駅まで開業していたが、当時の運用車両は100形などの17m級3ドアの吊り掛け駆動車、5000形(後の50系)などの17m級3ドアのWNカルダン駆動車が混在しており加減速能力に大きなバラツキがあった。保安装置は旧式の打子式ATSを採用していた。そのせいで列車運行間隔を詰めることができず、良くて2分15秒ヘッドでの運行が限界だった。そのため、単に編成の増結だとか新車投入だけでは解決しない域になっていた。
そこで、大阪市交通局はひとつの決断をする。
これに伴い、吊り掛け駆動車は全廃、まだ新しいWNカルダン駆動車は支線区に移籍が可能となり、1号線には18m級4ドア車の30系が投入されることで大幅な輸送力アップを実現した。
車両解説
30系は全長18m。2号線(現在の谷町線)、4号線(現在の中央線)に投入されていた7000形・8000形をベースに開発された。車体はステンレス鋼もしくはアルミニウム合金を採用、ちなみにこれが大阪市交通局で最初のアルミニウム合金製車体となった。本来導入コストを抑えるためには製法を統一することが不可欠であるが、大阪市交通局が敢えて2種類の合金を選択した理由は、当時はステンレス鋼もアルミニウム合金も発展途上であったため、どちらが車両に適しているのかを比較検討するためであり、大阪市交通局では車両製造を公開入札制にしていたため、敢えて2種類の製法で得意な製造業者をたくさん集めることで大阪万博開催までに車両製造を間に合わせる意図があったのだとか。
ちなみにこれと同一構造を持つ車両に北大阪急行の7000系・旧8000系があり、それらは実は万博終了後に大阪市交通局に転売されることを目的としていた。その後それらは30系グループに編入された。
運用遍歴
- 御堂筋線
御堂筋線では完成当時最長の8両編成で運用されておりその性能を遺憾なく発揮した。しかし1979年から冷房搭載の10系が登場すると、冷房のなかった30系は製造がらまだそんなに年代も経っていなかったということもあり冷房化も検討されたが、初期のアルミニウム合金製車両では冷房搭載を行うと強度に問題が生じることが発生し30系の引退が始まる。1993年には御堂筋線から完全にいなくなった。 - 谷町線
1980年~1983年にかけて行われた延伸工事で編成増備が必要となった谷町線に、御堂筋線から移籍してきた編成が投入された。1995年には初期のアルミニウム合金製車両を除き、全車が冷房化された。 - 四つ橋線
四つ橋線では北大阪急行の7000系の移籍先として当初から選定されており、計画通り7000系は四つ橋線に移籍した。その後、1990年にデビューした23系に順次置き換わっていき、1996年には四つ橋線に在籍していた30系が全て谷町線に移籍した。 - 中央線
1985年に行われた長田駅開業&近鉄東大阪線(現在のけいはんな線)乗り入れに伴い編成増備が必要となった中央線に、谷町線と同じく御堂筋線から移籍してきた編成が投入された。冷房装備のある20系・24系の投入に伴い、1995年非冷房であった30系は中央線からいなくなった。 - 千日前線
北急7000系の移籍先として千日前線も計画のうちにあったが、30系が投入されたのは御堂筋線でいらない子扱いになってから、1991年の話である。しかし、すぐ25系が投入され1995年に千日前線からいなくなった。
2013年現在の状況
30系後期型車両も現在では車齢が30年を経過しており、2009年に始まった30000系の投入に伴い廃車が行われている。2013年1月時点でアルミニウム合金製編成4本、ステンレス鋼製編成1本、6両編成=計30両が現役であるが、2014年までに全て置き換わる。
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関連項目
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