ベーブ・ルース 単語

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ベーブルース

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ベーブ・ルースGeorge Herman "Babe" Ruth, Jr.、1895年2月6日-1948年8月16日)とは、アメリカ合衆国出身の元メジャーリーガー投手外野手)である。

概要

父親場経営で病弱15歳の時にが他界。万引き、未成年煙草と様々な非行に手を染めたため、セント・メアリー少年工業学校で過ごすことになる。その間に恩師、育てのとして慕ったマティアス・バウトラ神父から野球を教わった。

セント・メアリー少年工業学校で左投のエースとして活躍していたが、ボルチモア・オリオールズスカウトのに留まり、1913年に19歳にしてプロ入りする。

世間知らずで子供じみたところがあったことから、ボルチモア・オリオールズの時にはチームメイトからベーブと呼ばれていた。

選手時代

1914年ボストン・レッドソックスに移籍して5試合に出場し、内4試合は投手として出場。4試合に登板し2勝1敗だった。投手としてあまり登板ででなかったため、バットを折られるという嫌がらせに遭っても古いバットを見つけては打撃練習を行っていた。オフヘレンウッドフォード結婚する(後述)。

投手としては1919年まで89勝を挙げていたが、1917年チームメイトが打者の方が価値が上がると提言し、1919年に外野手としての出場が増え、当時のMLBで最多記録の29本塁打記録し、ホームランが見直されるきっかけとなった。オフに金銭トレードでニューヨーク・ヤンキースに移籍した。

最優秀防御率1回、94勝、首位打者1回、本塁打王12回、打点王6回、通算714本塁打、2217打点と数々の記録を打ち立てたため、野球神様と称された。通算本塁打記録ハンク・アーロンバリー・ボンズに抜かされたが、長打率.600、OPS1.164現在も打ち破られていない。

1935年6月1日ボストンブレーブス(現:アトランタ・ブレーブス)で現役を引退した。

1918年に投手として13勝、打者としてリーグ最多の11本塁打記録していて、MLB一の10勝10本塁打達成者だったが、2022年大谷翔平が10勝25本塁打を達成し、2人となった。

引退後

1936年殿堂入りを果たした。1938年にはブルックリン・ドジャース(現:ロサンゼルス・ドジャース)で一塁コーチを務めたが、コーチを務めたのはこの年が最初で最後だった。

1946年咽頭に侵され、新が投与されて一時的に回復した。1947年にはベーブ・ルース財団を立ち上げ、恵まれない子供のためにチャリティー活動を行った。1948年死亡した。享年53歳。

人物

1919年にヘレンウッドフォード結婚しているが、1926年から別居。1929年ヘレン火災死亡し、その死を悼んだ。

荒れた少年時代を送ったで粗暴な性格となり、1917年6月23日の試合では先頭打者への四球判定についての口論の末に審判を殴って退場したこともあった[1]。しかし子供には優しく、落で重傷を負った子供のためにホームランを打って子供元気にさせ、後に子供海軍となっている。このホームランは「約束ホームラン」として伝記で取り上げられた。またお金がなくて球場に入れない子供のためにチケット代を買ったこともあったという。

暴飲暴食、不規則な生活が原因で1922年は結果を残せていなかったが、ルースを励ますパーティーの際に議員から「子供たちは英雄として君を見ているのに、そんな体たらくでいいのか?」ときつく叱られたことで泣いて反省し練習に取り組むようになったという。

1934年には日米野球のために来日している。

1992年にはベーブ・ルースを題材にした映画を生きた男/ザ・ベーブ」が上映されたが、「ホームランを打つ以外称賛に値しない不幸な人物」として評判が悪く、行収入は良くなかった。

成績

通算打撃成績

通算:22年
Total



G



PA



AB



R



H



2B



3B



HR



RBI



SB



SH



BB



HB



SO



AVG



OBP
MLB 2503 10617 8398 2174 2873 506 136 714 2217 123 113 2062 43 1330 .342 .474

タイトル・表彰・その他

タイトル
最優秀防御率 1回 1916年
最多本塁打 12回 1918年-1921年1923年-1924年1926年-1931年
最多打点 6回 1919年-1921年1923年1926年1928年
首位打者 1回 1924年
MVP 1回 1923年
その他
MLBオールスターゲーム出場 2回 1933年1934年

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関連項目

脚注

  1. *この話には続きがあり、ルースの後を継いだアーニー・ショア投手の初球で一塁走者が盗塁失敗でアウトになり、残る26人を1人も塁に出さずに0封して勝利した。この記録は当初はショア投手完全試合認定されたが、1991年記録の見直しが行われた際に史上初の継投ノーヒットノーラン記録が改められている。なお継投ノーノーワンアウトも取らずに降した投手ルースが一。
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