マザー・テレサとは、(Mother Teresa, 1910年8月26日 - 1997年9月5日)、あるいはコルカタの聖テレサ(Saint Teresa of Calcutta)は、カトリック教会の修道女にして修道会「神の愛の宣教者会」の創立者。またカトリック教会の聖人である。本名はアグネス・ゴンジャ・ボヤジュ。
世界で暮らす最貧困層の人々を助けた「神の愛の宣教者会」の修道女。
ノーベル平和賞受賞者であり、聖人の代名詞の一つとなるほど知名度が高い。
近年は黒い噂が取り沙汰されることもあるが、それらの多くは虚偽の可能性が高いとされる。詳しくはWikipediaの「マザー・テレサに対する批判」および「民族義勇団」を参照。
1910年8月26日、コソボ州・ユスキュプ(現在の北マケドニア共和国・スコピエ)にて、アグネス・ゴンジャ・ボヤジュとして生を受ける。両親が熱心なカトリック教徒だったため翌27日に洗礼を受けた。
1919年、父が急死する。生計を立てるため母が手作りの刺繍の販売を開始。また、気丈にボランティアに参加しキリスト教の教えを守る母の姿に強く感化される。
1922年、教会の神父からインドを始めとした途上国で苦しむ人々の話を聞き、12歳にして修道女になって一生を神にささげることを誓う。
1928年、アイルランドにあるロレット修道会に入会し、宣教のためインドへ旅立つ。フランスの修道女テレーズ・マルタンにちなんで、修道女としての名前をテレサにすることを決める。
1929年、カルカッタ(現在のコルカタ)からダージリンに向かい、ヒマラヤ山脈のふもとに建てられた修道院で修道女になるための修業を始める。
1931年、修道女になるための初誓願をたてテレサの名を授かり、カルカッタに戻って修道会設立の学校で生徒を教えながら病院の手伝いにも顔を出す。
1937年、最終誓願を経て正式に修道女となる。また、聖マリア女学院の校長に就任し、さらに修道院の外にある学校でも教えを任され、途上国の中の貧困層の暮らしを目の当たりにする。
1946年、黙想会に出席するため乗ったダージリン行きの汽車の中で神のお告げを聞き、修道会を出て、真の貧困層のために働くことを決意。
1948年、ロレット修道会を出て、看護法を学んだあと、カルカッタのスラム街でどん底の生活をする人々の中に入ってゆく。
1950年、ローマ教皇庁の認可を得て「神の愛の宣教者会」を設立。この頃からマザー・テレサと呼ばれだす。
1952年、カルカッタにあるヒンズー教の大寺院に、助かる見込みのない人々向けのホスピス「死を待つ人々の家」を開設。
1953年、28人のシスターとともにイスラム教から譲り受けた建物「マザーハウス」へと引っ越し、ここを本部とする。
1955年、捨て子や障害を持つ子供のための施設「聖なる子供の家」を開設。
1959年、チタガールにハンセン病患者のための施設「休憩の家」を開設。
1960年、諸外国を訪問し、ローマにて実の兄と30年ぶりに再会する。
1965年、ローマ法王から「神の愛の宣教者会」がインド国外で修道院を開くことを認可される。手始めにベネズエラに修道院を開設。
1979年、ノーベル平和賞を受賞。12月のノルウェーで行われた授賞式に普段どおり白いサリーにサンダルといういで立ちで出席し、スピーチでは受賞パーティーの費用を貧しい人々のために使ってほしいと訴えた。
1981年、日本を訪れ公演を行い、東京に「神の愛の宣教者会」の日本支部を置く。
1997年、心臓発作により「マザーハウス」で息を引き取る。87歳だった。
2016年、死後に二度の奇跡を起こしたとして聖人に認定される。
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最終更新:2024/12/25(水) 22:00
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