マスクドエロスとは、踊り手である。
ルチャドールのマスクにメイド服という出で立ちで踊るダンサー。
"三十路も近いのに"で始まる動画タイトルが特徴。年齢を感じさせないキレのある踊りは見事である。
マスクドエロスとは何者であり、そしてどこへ行こうとしているのだろうか。
そもそも「エロス」とは、ギリシア神話の性愛と恋心を司る神である。
そして「マスク」即ち仮面には、単純に顔を覆い隠す、という意味のみならず、装着する事により人格そのものを変化させるものと信じられ、古来より宗教的儀式・舞踏などに用いられてきた。
これにより、「マスクドエロス」の存在を説明付けるには二通りの解釈が考え得る。
一つは「エロス」である本性を「マスク」によって覆い隠し、別人格へと変貌しようとするというマスクドエロス像であり、もう一つは、「マスク」により「エロス」の神格を己に宿そうという像である。
ここでマスクドエロスを解き明かすための一つの手がかりとなるのが、彼女がルチャドーラ(ルチャ・リブレの戦士)であるという点である。
ルチャ・リブレとはスペイン語で「自由なる戦い」を意味する、メキシカンスタイルのプロレスリングの事である。
これは、ヨーロッパで生まれアメリカ大陸で発展したプロレスリングに、メキシコに脈々と受け継がれるアステカ文明に由来する、マスクマンを神聖視する文化が融合したものである。
レスリングの歴史は、古代ギリシャにおいて神技として行われていた格闘技、パンクラチオンまで遡ることができる。
これは古代日本でも相撲が神技として扱われ、古事記にタケミカヅチとタケミナカタが相撲を取ったという伝承が残る事にも似る。
さらにマスクドエロス本人の言に拠れば、「ルチャドーラにとってマスクとは、恥じらいと自由の象徴」であると位置付けられている事が確認できる。
恥じらい即ち羞恥心とは、自我や自尊心の延長にある概念であり、社会性を獲得する過程において、集団の中の自己を意識するようになって初めて生まれてくる感情である。
言うなれば民俗学や文化人類学で言うところの「ハレとケ」の内、日常を表す「ケ」の中でこそ発生する感情である。
それに対応して、日常の中に紛れ込むマスクドエロスという異質なる非日常、言い換えるならば神的な「ハレ」の存在は、ここでは恥と位置付けられているのである。
すなわちマスクドエロスとは、巫女によって舞われる神楽の如く、神聖なる存在に自己を同一化させつつも、それと同時に日常にもその視点を残している境界人の姿に他ならないのではなかろうか。
しかし1点だけ苦言を呈するなら、炊飯器を床に置くのは止めて欲しい。
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最終更新:2025/12/07(日) 00:00
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