モンゴルのジャワ侵攻とは、13世紀にモンゴル帝国(大元ウルス)がジャワ島(現在のインドネシア)を攻撃した出来事である。
13世紀はユーラシア大陸全土をモンゴル軍団が暴れまわった時代であった。東南アジアにもその鋭鋒が向けられ、チャンパーやベトナムなどがモンゴルの攻撃を受けた。その一環としてジャワ島にも侵略が行われたが失敗する。中東やヨーロッパで大暴れしたモンゴル軍であるが、東アジアでは概して苦戦を強いられている。
13世紀のジャワ島を治めていたのはシンガサリ朝のクルタナガラ王であった。1268年に即位したこの王は「美酒・美食にだけ関心を持つだけの愚かな王」と「この王のごとく英明な王は過去に見出せない」と相反する評価が残されている。クルタナガラ王は仏教の敬虔な信者であると共に「王の中の王」を目指して全インドネシア諸島の統一を図っていた。また国際感覚に優れたクルタナガラ王は元軍の来襲を予期し、近隣のバリやスンダ王国、スマトラのマラユ王国と同盟を結んでいた。果たして1289年、元朝から何度目かの使者が訪れ、隷属を要求してきた。王はこの使者の顔にイレズミして送り返したため皇帝フビライは激怒。大軍をジャワ島へ差し向けた。
1293年、500隻にのぼる軍船に1万余の元軍を乗せた侵攻軍がジャワへやってきた。総大将の史弼(シイピ)の左右を亦黒迷失(イクムシ)と高興(カオシン)が守る盤石の体制である。しかしジャワについたモンゴル軍は呆気にとられることとなる。なんと元の使者を侮辱したクルタナガラ王はシンガサリ朝が支配していたクディリ王国のジャヤカトワン王に既に殺されていたのである。クルタナガラ王の娘婿のラデン=ウィジャヤはモンゴル軍に降伏し、モンゴルの力を利用して義父の仇を討とうと画策した。ジャヤカトワン王は10万以上の大軍を差し向けたが、元とウィジャヤ連合軍の前に敗北した。
ところがその後、ウィジャヤは貢物を受け取るためについてきた元軍を騙し討ちにすると、勝利に酔っていた元の本隊に攻撃をかけた。不意を突かれた元軍は総崩れとなり泉州まで潰走した。こうして元軍は4ヶ月に及ぶ戦いに3000人の兵士を失って何も得ることがなかった。その後、ウィジャヤはクルタラジャサ=ジャヤワルダナという尊称をもってマジャパヒト王国を興した。フビライの死後は元との関係も改善され、以後は朝貢貿易を行い、マジャパヒト王国は冊封体制に入った。
掲示板
5 ななしのよっしん
2024/08/22(木) 16:53:25 ID: PcMrRXS811
インドネシアの歴史、ラデンさん多過ぎだろ…と思ってたけど、貴族の称号みたいなやつだったのか
(ウィキペディア英語版の「プリヤイ」の記事に書いてある)
6 ななしのよっしん
2025/09/03(水) 22:10:23 ID: /dDfZHAw35
海戦って専門知識めちゃくちゃ必要だから海を隔てるとさすがにね…海の上で移動するだけでもその分野に長けてる人材いないと前にすら進めん
7 ななしのよっしん
2025/09/04(木) 01:24:34 ID: szE58ujeEa
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最終更新:2025/12/05(金) 23:00
最終更新:2025/12/05(金) 22:00
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