九州沖航空戦とは、大東亜戦争末期の1945年3月18日から21日にかけて行われた、日本軍基地航空隊vs米機動部隊の空戦である。
日本本土に向けて侵攻するアメリカ軍は、本土上陸の足がかりとして沖縄の攻略(アイスバーグ作戦)を企図していた。沖縄上陸時に出現するであろう日本軍の増援を予め機能不全にすべく、攻略に先立って日本本土を広範囲に空襲する事にした。空襲を担当するのはマーク・ミッチャー率いる第58任務部隊。正規空母10隻と軽空母6隻を四群に分け、約1400機の艦載機で南九州、和歌山、四国などを空襲する予定だった。
1945年3月18日、九州南東90海里に進出した機動部隊の一群が南九州を空襲。この日だけで延べ900機が出撃し、笠ノ原、鹿屋、富高といった主要な飛行場や駐機中の機体にかなりの損害を受けた。零戦が迎撃に上がったが、敵戦闘機との交戦で47機が撃墜された。当然日本側が黙っているはずがなく、九州方面に展開していた宇垣纏海軍中将率いる第五航空艦隊が反撃に転じた。通常攻撃機と特攻機を交えた航空隊が米機動部隊を攻撃し、3隻の敵空母を小破させた。しかし193機中161機が撃墜される大損害を受ける。アメリカ側の損害は29機撃墜に留まった。
翌日の3月19日、第58任務部隊は呉軍港や神戸港を空襲。真珠湾攻撃の意趣返しとして猛攻を加え、多くの艦艇を中大破させたが、沈没艦は1隻もなく不満足な結果に終わった。また松山海軍航空基地に展開していた第343航空隊が松山上空で敵艦載機と激戦を演じている。海軍の一大拠点を攻撃された日本側は総力を挙げて反撃を開始。出撃可能な機体をほぼ全て出し、特攻機も含めて敵機動部隊に熾烈な攻撃を行った。室戸岬に最も近づいていた空母ワスプⅡとフランクリンに奇襲をかけ、大破へと追いやる。特にフランクリンの被害は甚大で、戦死者832名を出した。深手を負ったフランクリンは本国への後退を余儀なくされ、終戦まで戦線復帰できなかった。またエセックスも中破し、ワスプⅡともども戦線離脱となった。
3月20日は第58任務部隊が補給を受けていたため攻撃は無かった。この日の夜、駆逐艦ハルゼイ・パウエルに陸軍の四式重爆撃機が体当たりして損傷させた(ただし特攻機ではなく誤って接触したもの)。
3月21日、米機動部隊が都井岬沖に出現した。日本側は桜花15機を搭載した第721航空隊の一式陸攻18機(神雷部隊)を零戦とともに出撃させたが、待ち構えていた敵艦上機の群れに捕捉されて全機撃墜の憂き目にあった。零戦も10機前後が撃墜されている。この日の攻撃を以って第五航空艦隊は壊滅状態に陥り、以降は敵機動部隊の跳梁を阻む事は出来なくなった。
決死の攻撃により3隻の正規空母を戦線離脱させたものの、敵の潤沢な物量の前では無力だった。その後も第58任務部隊は日本近海で暴れ回り、3月23日に沖縄への増援部隊を乗せたカナ304船団を襲撃して壊滅させている。
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最終更新:2024/12/27(金) 00:00
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