佐喜眞淳(さきま あつし、1964年8月9日~)とは、日本の沖縄県の政治家である。
1964年8月9日生まれ。沖縄県宜野湾(ぎのわん)市真志喜(ましき)出身。普天間高校に進学。千葉商科大学を卒業後、フランス留学。
帰国後、会社勤務などをしていたが、宜野湾市の市会議員であった父が公務中にくも膜下出血で倒れ、そのまま亡くなってしまう。その空いた議席について問われる声が周囲から上がったため、その声に推されるかたちで出馬、父を継ぐように2001年に宜野湾市議会議員として初当選を果たす。
2006年、沖縄県議会議員選挙に出馬し、当選。45歳時には自民党県連政調会長を務めた。県議会議員を2期務めた後、2012年、宜野湾市長に就任。2016年にも再選し、宜野湾市長を2期務めた。県内の保守派首長でつくる団体「チーム沖縄」(正式名称は「沖縄の振興を考える保守系市長の会」)の中心的メンバーであった。2009年から2012年には日本会議の正会員であった。
周囲からは「気さく」「明るい」と評される性格。スポーツが趣味で中学ではサッカー、高校では野球に打ち込んでいた。大学で始めた空手は黒帯の腕前で、フランス留学時代には人に教えても居たという。[1]
その後、2018年に宜野湾市長を辞した上で、沖縄県知事選挙に出馬。だが前衆議院議員であった玉城デニーに約8万票差で破れ、落選した。
この時の立候補者は4名だったが佐喜眞と玉城の2名以外の候補者は0.5%の得票数しか得ておらず、得票率55.1%だった玉城と得票率43.9%だった佐喜眞の二名でおよそ99%の得票数を分け合っており、実質的には一騎打ちに近い選挙であった。[2]
2022年にも再度沖縄県知事選挙に出馬。米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に対する賛否を明示しなかった前回2018年の選挙と異なり、今回はこれを「容認」する姿勢を明示した上で、「普天間飛行場の2030年までの返還」を訴えて選挙に臨み、「辺野古移設反対」を明示する玉城との意見の違いがクローズアップされた。
ただし、この時は佐喜眞と現職の玉城の他に元衆議院議員で大臣就任歴もある下地幹郎も出馬して経済振興を重視する層からある程度の支持を集めており、前回ほど完全な一騎打ちという様相は呈さなかった。
しかし得票率一位が玉城で二位が佐喜眞、という前回の形勢は再現され、再落選した[3]。
この結果については、佐喜眞がかつて世界平和統一家庭連合(旧統一教会)関連のイベントに参加していたことが選挙告示前に報道され強い逆風となったこと、岸田内閣の支持率低下、下地の出馬による保守票の分裂、などを敗因として分析する毎日新聞の報道記事もある[4]。
ただし、投票した有権者を対象とした「投票で重視した点」についての報道機関実施のアンケート調査では「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関わり」を最も重視したと答えた回答者はわずか3%にとどまった。一方「普天間飛行場の辺野古移設に対する考え方」と答えた回答者が40%で最多であり、しかもそう答えた回答者の78%が玉城に投票していた[5]。よってやはり辺野古移設関連が最大の争点になったと見るべきかもしれない。
本記事の記事名は「佐喜真」になっているが、本人の公式サイトなどに記載されている正式な表記は「佐喜眞」である。
ただし「眞」は「真」の旧字体でありやや一般的ではない漢字ということもあり、わかりやすさを優先してか公式側も「佐喜真」で表記することがある。
例えばポスターなどでも「佐喜真アツシ」表記が用いられることがあり、沖縄県に政治団体として登録されている後援会の正式名称も「佐喜真アツシ後援会」である。
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最終更新:2024/05/10(金) 08:00
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