原拓也(はら たくや、1984年5月18日-)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手(内野手)である。
OB | |
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原拓也 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 神奈川県横浜市 |
生年月日 | 1984年5月18日 |
身長 体重 |
175cm 78kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 2006年大学生・社会人ドラフト4巡目 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
2006年、大学・社会人ドラフト4順目で西武ライオンズから指名を受け入団した。背番号43。
2007年、6月13日の阪神タイガース戦で一軍初出場。翌日には上園啓史から初ヒットを放った。二軍では二塁手、三塁手、遊撃手をそれぞれ守ったが、9失策とエラーが多く、打率も.191と奮わずアピールできなかった。
2008年、この年も二軍出場が多かった、西武が優勝を決めた後の消化試合で一軍に昇格。一軍では3試合出場、安打は3本1打点とあまり活躍できなかったが、その後アジアシリーズにも出場した。
一方二軍では8月2日のフレッシュオールスターゲームで左越え3ランホームラン(プロ入り初ホームラン)を放ち、最優秀選手に輝いたが、アナウンサーに名前を忘れられていた。レギュラー出場試合の打率.289、2本塁打という成績で、打率が1割上昇した。
2009年、2月28日のWBC強化試合でダルビッシュ有からスクイズを決める。8月上旬、足を痛めた中村剛也の代わりとして、ほぼ全試合三塁手のレギュラーとして起用され続けた。この年の打率は.219だったが、左投手に対しては.353だった。2010年は6月1日に清水直行から公式戦初ホームランを放つ。守備力も大きく向上し、代走・守備固め要員として存在感を高めた。
2011年序盤もベンチを暖めることが多かったが、正二塁手・片岡易之の故障からチャンスを掴むと、得意のバントで繋ぎに徹して低迷していたチームの反転攻勢に貢献、片岡復帰後も2番打者に固定された。このシーズンに記録した犠打は51で、西武黄金時代の2番打者で『バントの名手』と謳われた平野謙の持っていたライオンズのチーム記録(1シーズン50犠打)を塗り替えた。オフに背番号を5に変更。
2012年は序盤こそ片岡不在の二塁手や、三塁手のバックアップでスタメン出場していたが、打撃が振るわず6月以降はほぼ守備要員としての起用になり、86試合で打率.168に終わった。オフ、山崎浩司とのトレードでオリックス・バファローズに移籍。背番号2。
2016年は36試合に終わり、戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトを受けたが、獲得に動く球団は現れず、現役を引退した。
待機児童問題へ高い関心を持っていることから、保育所作りに挑戦する。
球団 | レス | No | プレイヤー |
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西武 | 応援歌のピコカキコ一覧#213 | 8865 | |
応援歌のピコカキコ一覧#82 | 8644 | ||
オリックス | 赤田将吾#14 | 7021 |
年度 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2016年 | 36 | 43 | 37 | 1 | 7 | 1 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 7 | 2 | .189 | .286 |
NPB:10年 | 673 | 1419 | 1053 | 121 | 265 | 44 | 4 | 6 | 76 | 2 | 97 | 7 | 113 | 14 | 241 | 26 | .223 | .297 |
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最終更新:2024/11/08(金) 09:00
最終更新:2024/11/08(金) 09:00
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