原拓也 単語

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原拓也(はら たくや1984年5月18日-)とは、神奈川県出身の元プロ野球選手内野手)である。

概要

関東学院大学時代は1年次にベストナインを受賞。

2006年大学社会人ドラフト4順西武ライオンズから名を受け入団した。背番号43。

2007年6月13日阪神タイガース戦で一軍初出場。翌日には上園啓史から初ヒットを放った。二軍では二塁手三塁手遊撃手をそれぞれ守ったが、9失策エラーが多く、打率も.191と奮わずアピールできなかった。

2008年、この年も二軍出場が多かった、西武優勝を決めた後の消化試合で一軍に昇格。一軍では3試合出場、安打は3本1打点とあまり活躍できなかったが、その後アジアシリーズにも出場した。
一方二軍では8月2日フレッシュオールスターゲームで左越え3ランホームランプロ入り初ホームラン)を放ち、最優秀選手いたが、アナウンサー名前を忘れられていた。レギュラー出場試合の打率.289、2本塁打という成績で、打率が1割上昇した。

2009年2月28日WBC強化試合でダルビッシュ有からスクイズを決める。8月上旬、足を痛めた中村剛也の代わりとして、ほぼ全試合三塁手レギュラーとして起用され続けた。この年の打率は.219だったが、左投手に対しては.353だった。2010年6月1日清水直行から公式戦初ホームランを放つ。守備力も大きく向上し、代走・守備固め要員として存在感を高めた。

2011年序盤もベンチを暖めることが多かったが、正二塁手片岡易之の故障からチャンスを掴むと、得意のバントで繋ぎにして低迷していたチーム反転攻勢に貢献、片岡復帰後も2番打者に固定された。このシーズン記録した犠打は51で、西武黄金時代の2番打者で『バントの名手』と謳われた平野謙の持っていたライオンズチーム記録(1シーズン50犠打)を塗り替えた。オフ背番号を5に変更。

2012年は序盤こそ片岡不在の二塁手や、三塁手バックアップでスタメン出場していたが、打撃が振るわず6月以降はほぼ守備要員としての起用になり、86試合で打率.168に終わった。オフ山崎浩司とのトレードでオリックス・バファローズに移籍。背番号2。

2014年は自己最多の120試合に出場。

2016年は36試合に終わり、戦力外通告を受けた。12球団合同トライアウトを受けたが、獲得に動く球団は現れず、現役を引退した。

待機児童問題へ高い関心を持っていることから、保育所作りに挑戦する。

人物・その他

応援歌

球団 レス No プレイヤー
西武 応援歌のピコカキコ一覧#213 8865
8865
応援歌のピコカキコ一覧#82 8644
8644
オリックス 赤田将吾#14 7021
7021

オリックスでの応援歌は、赤田将吾の流用だった。

通算打撃成績

年度 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
2016年 36 43 37 1 7 1 0 0 4 0 1 0 5 0 7 2 .189 .286
NPB:10年 673 1419 1053 121 265 44 4 6 76 2 97 7 113 14 241 26 .223 .297

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最終更新:2024/11/08(金) 09:00

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