「周不疑」(シュウ・フギ ? ~ 208?)とは、曹操の息子で天才児として知られた曹沖と並ぶ三国時代の天才児である。
字(あざな)は徐庶と同じ「元直」または「文直」で、名は当時としては珍しい「不疑」と言う二字名である。
コーエーの歴史SLG「三國志」シリーズには初代から三國志11まで1度も登場していない。
零陵郡重安の出身で、劉表に対して曹操に降伏するよう説いた劉先の甥にあたる。
まだ赤ん坊の頃から聡明であったと言われ、劉先は若くして茂才に推挙された事もある劉巴の元で勉学に励ませようと考えたが、劉巴より、
「甥御殿の持つ、鳳の如き光をぶち壊して燕雀の家で遊ばせようといわれることが恥ずかしい。」
と、遊学時に名を残せなかった劉巴のコンプレックスを刺激してしまい、劉巴は周不疑の面倒を見る事を辞退した。
周不疑の評判を聞いていつもの人材病を発症した曹操により、面会を求められた周不疑は、曹操の元を訪れると、周不疑をみた曹操は一目で気に入って自分の娘を与えようとしたり、議郎に取り立てようとしたが、周不疑は丁重に断った。
曹操が異民族の烏丸族を討伐すべく、柳城を攻撃したものの落すことができなかった際は、曹操から送られた戦場の図面をもとに十通りの策を曹操に返し、周不疑の策を採用した曹操は柳城をあっけなく陥落させたと言われ、曹操は聡明且つ善良で知られる息子の曹沖と良い仲間になってくれるだろうと期待していた。
曹操が目に入れても痛くない程に溺愛した曹沖がわずか13歳の若さで夭折すると、曹沖が若くして亡くなったのに周不疑は何故生きていらえるのかと疎ましくなった曹操に目をつけられ、曹丕のとりなしもむなしく、曹丕では周不疑を制御することは出来ないとして、刺客を放って暗殺した。時に周不疑は17歳だったと言われている。
周不疑は三国志演義には登場しない。
※その他「周不疑」の詳細についてはWikipediaの該当記事・・・はありませんでした。
夭折の運命を乗り越えた曹沖を支える幕僚として登場するiM@S架空戦記「三国志アイドル伝」。
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6 ななしのよっしん
2023/01/28(土) 09:07:40 ID: eUz1XAhon8
2020年にwikipedia のページ作られてた
出典が細かく挙げてある助かる
7 ななしのよっしん
2025/12/10(水) 22:28:20 ID: 8P6d3vhRVD
>>4
Wikipediaに書かれていますが、周不疑の記述は陳寿の本文にはなく、作者不明(恐らく呉人)『零陵先賢伝』がほとんど。没年と著作は西晋の摯虞『文章志』が出典。
零陵の地元の立場からは、期待の若手が敵国に仕えた挙句に無惨に殺された事になるわけで、業績も殺され方も盛っている可能性が高い。
8 ななしのよっしん
2025/12/10(水) 22:31:55 ID: ifTIArYMag
ゲームシステムとして出現都市のあるKOEI的はおいしい武将に思えるがノータッチなんだな
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最終更新:2025/12/13(土) 02:00
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