もしかして → 旭日旗(きょくじつき)? |
「日本」という言葉が「太陽の昇る国(日ノ本)」という意味から来ており、太陽を模した赤い丸が白地の真ん中に書かれたデザインになっている。
法律の上では日章旗(にっしょうき)となっているが、昔から尊敬や親しみの念を込めて「日の丸」と呼ばれている。また日の丸のようにご飯の中心に梅干しが一つだけある弁当を「日の丸弁当」と呼ぶ。
混同される旗として、日の丸から陽光が差すデザインの「旭日旗」 がある。こちらは主に旧日本軍で軍旗として、陸上自衛隊・海上自衛隊で自衛隊旗として、漁業関係者の間で大漁祈願の旗として使われている。よく間違われるが、大日本帝国で国旗として使われていたことは無い。
645年の大化の改新以後、天皇による親政が行われる頃には朝廷行事において太陽を象った旗を使用するようになった(ただし、当初の日の丸は赤ではなく黄色や金色だったらしい)。
現在のような「白地に赤丸」の旗となったのは源平合戦の頃からと言われている。
国旗として扱われるようになったのは江戸時代末期からで、明治維新後はそのまま明治政府に引き継がれ、明治3年布告の商船規則により「御國旗」として使用されるようになった。
ただし正式に国旗となったのは、1999年に「国旗及び国歌に関する法律」が公布されてからである。
「国旗及び国歌に関する法律」は国旗と国歌について定義を行うものに過ぎず、掲揚や唱和、取り扱いなどについて明言はされていない。
たとえば外国の国旗を毀損する行為は犯罪として刑法に定義されているが、日の丸を毀損する行為は犯罪として定義されていない。多くの理由は、「掲揚や唱和の義務化が、日本国憲法で定められている表現の自由を侵害する恐れがあるから」と言われている。
ただし表現の自由などの基本的人権は無制限ではなく、公共の福祉に反する濫用(らんよう) は認められないことが多い。
掲示板
254 ななしのよっしん
2022/10/12(水) 02:03:28 ID: zXmyCmaV89
アメリカの軍事博物館に展示されていた"日章旗" 佐賀県出身日本兵の遺族に返還される
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返還された日章旗は、神埼郡脊振村出身で1943年に南方のニューギニアで24歳で戦死した、佐藤守男さんのもので、アメリカ・ニューメキシコ州の軍事博物館に展示されていました。
展示されたいきさつなどは分かっていませんが、遺族のもとに返したいという博物館の要望があり、日章旗など返還に取り組んでいるアメリカのNPOが、3年ほど前に佐藤さんのものと特定したということです。
255 ななしのよっしん
2023/06/20(火) 07:08:57 ID: 7lW658w9VT
日章旗掲げただけでキレ散らかす人は頭がおかしいとしか思えん
256 ななしのよっしん
2023/06/20(火) 13:40:57 ID: A96zOBlY3S
藩閥政府と大日本帝国の闇を抱え、曲としても悪名高い君ヶ代に比べると、比較的愛されている
江戸時代から船舶の国籍旗として幕藩に使われていたからね
急上昇ワード改
最終更新:2024/11/27(水) 11:00
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