朝井秀樹(あさい ひでき、1984年1月1日-)とは、大阪府出身の元プロ野球選手(投手)である。現在は読売ジャイアンツの球団スタッフを務める。
| OB | |
|---|---|
| 朝井秀樹 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 大阪府大阪市 |
| 生年月日 | 1984年1月1日 |
| 身長 体重 |
177cm 82kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 2001年ドラフト1巡目 |
| 引退 | 2012年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
縦に大きく落ちるドロップカーブが武器の先発右腕。そのカーブは同じPL学園出身の桑田真澄のカーブに例えられ「桑田2世」と言われていたことがある。
PL学園時代は今江敏晃、桜井広大、小斉祐輔らと共に甲子園に出場。2001年のドラフト1巡目で大阪近鉄バファローズに指名されて入団。背番号は36。ドラフトの同期には有銘兼久、近藤一樹らがいる。
二軍暮らしが続き、近鉄とオリックスの合併にともない東北楽天ゴールデンイーグルスに分配される。
2007年にロングリリーフを経て先発ローテーションに定着。この年、援護率が規定投球回数に達した中で最下位(ちなみにトップは同僚のルーキー田中将大)というムエンゴにもめげず8勝をマーク。被本塁打はわずか4本(リーグ最少)という抜群の安定感でチームの4位躍進に貢献した。
2008年は昨年ほどの安定感は無かったが、先発ローテーションとして手薄な投手陣を支えて9勝を挙げた。
2009年は開幕早々に小物の落球から崩れてKOされると、それが尾を引いたのか制球を乱して自滅を続け二軍落ち。先発3番手のポジションを永井怜に明け渡したばかりか、一気に存在感が薄れる。
2010年は7月に一度先発を任されるが5回途中でKOされる。その後、7月26日に栂野雅史とのトレードで読売ジャイアンツに移籍した。背番号は68。
2010年8月8日の広島東洋カープ戦で移籍後初登板すると、7回無失点で勝利投手に。そのままローテーションに定着し、巨人では10試合に登板(うち先発8試合)で4勝1敗、防御率2.01という好成績を挙げ、先発陣が崩壊状態に陥った巨人の救世主となった。武器であるカーブを活かした阿部慎之助のリードが復活の要因とはヤクルト小野スコアラーの評。
2011年は背番号38を貰ったが、開幕ローテーション争いに敗れ、そのまま二軍暮らしが続いた。前年の活躍はどこへやら、結局一軍登板無しに終わった。消えた原因は統一球で武器のカーブが死んだためと言われている。
2012年も復活の気配を見せることは無いまま、10月2日に戦力外通告を受けた。現役続行を希望し、いくつかの球団が獲得に動いているという報道もあったが、結局契約には至らず、現役を引退した。
2016年からは読売ジャイアンツの打撃投手を務める。背番号は209。2020年からは広報に異動。
特技はものまね。ファン感謝祭では、色々な打者のフォームを真似て打席に立つのが毎年恒例になっていた。レパートリーは
など。
| 球団 | レス | No | プレイヤー |
|---|---|---|---|
| 巨人 | セントラル・リーグの応援歌のピコカキコ一覧#121 | 17849 |
| 通算:8年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 113 | 71 | 6 | 1 | 25 | 33 | 0 | 4 | .431 | 492.2 | 189 | 378 | 250 | 224 | 4.09 |
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最終更新:2025/12/08(月) 13:00
最終更新:2025/12/08(月) 13:00
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