真部一男(まなべかずお)とは、将棋棋士である。故人。55歳で現役中に、病没した。追贈九段、東京都荒川区出身、加藤治郎門下。棋士番号111。
タイトル挑戦決定戦出場3回、しかしタイトル挑戦は0というありがたくない記録を持っている。棋戦優勝は1回で、米長邦雄に対して強さを発揮した。そして通算598勝と、あと2勝すれば将棋栄誉賞に到達する目前での、惜しまれる死であった。
若い頃は端正な顔立ちの二枚目棋士として、棋界のプリンスと呼ばれ、マスコミ露出も度々あった。また、実力も確かで将来の名人候補と期待された時期もあり、タイトル戦トーナメントで活躍したが、結局挑戦には届かなかった。36歳で苦節の末A級に昇級したが、後の奇病発症もあって2期しか保てなかった。
研究熱心な性格で、色々な棋譜を体系化し、分析することを得意とした。棋風は元々居飛車党であったが、振り飛車党に転換し、じっくりと攻める棋風に変わった。
40代から度々奇病に悩まされるようになり戦績も大きく落とす。そして、晩年には完全に衰弱しきっており、最期に指した豊島将之戦では33手での投了劇となった。これに直因しているかはわからないが、ヘビースモーカーであり、また酒に溺れた時期もあり、偏食家でもあった。健康を害したのはこれらの不摂生な生活習慣が祟ったのではないかともいわれており、本人も雑誌のコラムで何度か内省している。
囲碁好きで、土佐浩司と並ぶ将棋連盟囲碁部の双璧であったといわれる。
また、文筆にも長け、ペンクラブ大賞受賞歴もあるが、棋書はあまり出していない。
前述した絶局、豊島将之戦では4二角の妙手を思いついたが、相手が長考になれば自分の体力が保たないと思い、結局指さなかったことは有名。そして、見舞いに来た親しい友人に、4二角のことを話し、投了の真相が判明した。
…その後日、奇しくも真部の通夜に、大内延介九段が村山慈明戦で指し、村山が長考することになった。しかも、大内はその手のことを知らず、かたや村山は幻の4二角のことは知っていたといい、大内が知っていて指したのだと思っていたらしい。結局、その奇跡を呼んだ対局は村山が勝ちを収め、後で真相を聞かされた大内は驚き「勝ってやりたかった」と告げ、真部の通夜に花を添えることができなかったものの、棋界はその話題で持ち切りとなり、升田賞の特別賞を与えることになった。
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最終更新:2024/03/29(金) 01:00
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