興津立雄(おきつ たつお)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 興津立雄 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 静岡県焼津市 |
| 生年月日 | 1936年5月19日 |
| 没年月日 | 2022年6月9日 |
| 身長 体重 |
181cm 83kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手 |
| プロ入り | 1959年 |
| 引退 | 1971年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
静岡商業高等学校へ進学。4番打者として活躍し、3年時には夏の甲子園大会に出場。本大会では決勝戦まで勝ち進み、準優勝となっている。
卒業後、専修大学に進学。同僚には古葉竹識がいたが、古葉は1年で中退し、社会人野球に進んでいる。1年時から中軸を任され長打を量産。その活躍から同時期に東京六大学リーグで活躍していた長島茂雄になぞらえて「東都の長島」と呼ばれ、アマチュア球界屈指の強打者として名を馳せた。在学4年間で3度のリーグ優勝を経験し、ベストナインにも1度選ばれている。
入団初年度の1959年、新人ながらサードのレギュラーを任されると、打率.220、5本塁打、20打点を記録。
1960年、ファーストを中心に起用され、セ・リーグワーストの108三振を記録するなど大味な部分は見られたが、セ・リーグ2位となる21本塁打を放つなど、持ち味である長打力を発揮して活躍。オールスターゲームにも初出場している。
1961年は春のキャンプ中に腰を痛めた影響で64試合の出場にとどまった。
1962年、腰の痛みと付き合いながらも126試合に出場して、12本塁打を放った。
1963年、全試合に出場して、打率.303、19本塁打、93打点と好成績を残している。
1965年には、5月の読売ジャイアンツ戦で史上3人目となる3イニング連続本塁打を記録するなど、15本塁打を放った。
以降は腰の状態が悪化したこともあり試合出場数は減っていったが、1968年には68試合で12本塁打を、1969年には80試合で15本塁打を放つなど、長打力は健在であった。
持ち前の長打力を武器に、1960年代の広島打線を支えた大砲。腰の故障に苦しんだが、晩年は第だの切り札としても活躍した。
引退後、打撃コーチ就任を打診されていたようだが、アパート経営を理由に辞退している。
| 通算:13年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1227 | 4313 | 3871 | 439 | 998 | 145 | 495 | 29 | 40 | 32 | 335 | 35 | 853 | 118 | .258 | .320 |
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最終更新:2025/12/05(金) 18:00
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