豚的幸福というのは、何らかの失敗で信頼を失墜させたり誰かを幻滅させたりしている人自身が、そうした何らかの原因で自分の信用を失ったりして、人間関係での信頼構築におけるさらなる失敗をおかしている事実に一番気づいていない状況のことである。
夏目漱石の「吾輩は猫である」が由来。
もともと豚的幸福は、明治時代の日本の文豪である夏目漱石が「吾輩は猫である」で書いた言葉である。
「吾輩は猫である」の主人公であり、縁もゆかりもない家に飼われて居候している状態の猫が、その猫の飼い主である同家の主人が犯したある過ちについてその主人を評して豚的幸福と言ったのが始まりである。
その過ちとはすなわち人違いであった。ある日、主人の家にて保管していた山芋が深夜突然、泥棒によって盗まれた。
しかしその泥棒は御用になった。
後日警察官はその泥棒を連行したまま主人の家に向かった。そして友人と話をしている最中の主人の家にて「その泥棒を捕まえたので警察署で事情をお聞かせください」と主人に言ったのだが、
この際に主人は、その泥棒を(主人公いわく「風貌や男振りが良かった」という理由で)警察官と勘違いした。そして泥棒(主人にとっては警察官)に題してお辞儀したのである。
それを見ていた友人は主人へ「泥棒にお辞儀するのか」と言ったが主人は反論した
「第一、刑事が人の所へ来てあんなに懐手なんかして、突立ているものかね?」
「刑事だって懐手をしないとは限るまい。」
「そう猛烈にやって来ては恐れ入るがね。 君が御辞儀をする間あいつは終始そのままで立っていたのだぜ」
「刑事だからその位の事はあるかもしれんさ」
「どうも自信家だな。いくらいっても聞かないね」
「聞かないさ。君は口先ばかりで泥棒だ泥棒だといってるだけで、
その泥棒が這入るところを見とどけた訳じゃないんだから。
ただそう思って独りで強情を張ってるんだ。」
友達以上に強情を張っているお前が言うなという話なのだが……。
迷亭も是において到底済度すべからざる男と断念したものと見えて、例に似ず黙ってしまった。
という状況を目にしたあと、家の主人を「偉くなった気でいる」とぐうの音も出ない正論で評したうえで、
強情さえ張り通せば勝った気でいるうちに、当人の人物としての相場は遥かに下落してしまう。 不思議な事に頑固の本人は死ぬまで自分は面目を施こしたつもりかなにかで、その時以後人が軽蔑して相手にしてくれないのだとは夢にも悟り得ない。
幸福なものである。
こんな幸福を豚的幸福と名づけるのだそうだ。
と言った。これが豚的幸福という言葉の由来である。
以上のように、誰かを失望させてしまっていることに気づかないおろかな人間の状況を豚的幸福という。
いじめがもとで自殺した生徒の案件を隠蔽する学校の先生や、不祥事を隠したり正しいことをしたら報復しようと考えたりする偉い人はみんなこうなるから気をつけようね。
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最終更新:2025/12/13(土) 08:00
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