香月良太(かつき りょうた、1982年7月27日-)とは、福岡県出身の元プロ野球選手(投手)である。
千葉ロッテマリーンズに所属していた香月良仁投手は実の弟。
OB | |
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香月良太 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 福岡県久留米市 |
生年月日 | 1982年7月27日 |
身長 体重 |
180cm 82kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 2003年自由獲得枠 |
引退 | 2016年 |
経歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
シュートを軸に、多彩な変化球で打たせて取るピッチングが持ち味の技巧派リリーフ投手。
柳川高校時代は3年の春、夏と続けて甲子園に出場し、どちらもベスト8で智弁和歌山に敗れた。春は8回までに15三振を奪うも1-0で惜敗、夏は途中でマメが潰れながらも、延長11回まで投げ抜くがサヨナラ負けであった(なお、この年の智弁和歌山は春準優勝、夏は優勝している)。
その後、社会人の東芝を経て、2003年のドラフト自由枠で大阪近鉄バファローズに入団。近鉄最後のドラフト最高位指名選手である。
2004年にプロ野球再編問題が勃発して球団が合併してしまい、分配ドラフトでオリックス・バファローズに移籍する。この年は1試合に留まった。
2005年、シュートを武器に一軍に定着し、47試合で3勝1敗10ホールド、防御率2.36という好成績を収めて強力リリーフ陣の一角を担った。しかしその後は先発転向が上手くいかず、2006年と2007年はパッとしない成績に終わる。
2008年は谷間の先発を務めながら後半戦はセットアッパーとして活躍。チームが9年ぶりのAクラスを決めた試合では8回から延長10回の3イニングを抑えて勝利投手になるなど、32試合で4勝0敗8ホールドを挙げチームの躍進に貢献した。
2009年は後半戦不調に陥ったが、セットアッパーとして64試合に登板、20ホールドを挙げる。
2010年は、それまでオリックスのリリーフを支えてきた面々が不調や衰えで消えていく中で奮闘し、46試合で防御率3.02とまずまずの成績を残した。
2011年もほぼシーズンを通してリリーフとして活躍、46試合で1勝2敗16ホールド、防御率2.12の成績を残した。9月14日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦では、2年連続で尻にセミが止まるという謎の出来事が起きた。
2012年は8月までに52試合に登板という酷使ぶりで、1勝2敗10ホールドを挙げたが、派手に打ち込まれることが何度かあり防御率5.17と不調で、8月終わりに二軍落ちしてシーズンを終えた。オフ、東野峻・山本和作とのトレードで、阿南徹と共に読売ジャイアンツへ移籍した。背番号17。
2013年は19試合に登板したが、防御率6.16と結果を残せず一軍と二軍を往復した。オフ、大竹寛の入団により背番号13に変更。
2014年は41試合に登板したが、2015年は14試合の登板に留まる。2016年は一軍登板はなく、オフに戦力外通告を受け、現役を引退した。
引退後は都内の一般企業に就職。サラリーマンとして飲食品の企画宣伝の仕事をしている。
肩が出来上がるのが非常に早いという特技がある。オリックスでは2008年からトレードで放出される2012年まで、大きな怪我も無くリリーフ陣の屋台骨を支え続けた縁の下の力持ちであったが、東野とのトレードの第一報が出たときには「香月って誰?」という反応をする巨人ファンが多く、知名度はイマイチだった。
通算:12年 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 371 | 4 | 0 | 0 | 18 | 10 | 3 | 77 | .643 | 373.2 | 98 | 188 | 177 | 161 | 3.88 |
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最終更新:2024/11/22(金) 03:00
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