TV-1とは、アメリカが生み出した珍兵器超兵器・原子力戦車である。ついでにR32についても言及する。
とにかくなんでも原子力にすればいいいってもんじゃない。それが現代に生きる我々の共通認識である。
だが時は1950年代アメリカである。「原子力潜水艦」「原子力砕氷船」(こちらはどちらもバリバリ活躍中である)のみならず、「原子力飛行機」「原子力ミサイル(※)」「原子力鉄道」までも構想し始めた連中は、ついに「原子力戦車」という発想に行き着いた。これがTV-1(仮称)である。もっともこれは正式名称ではなく、プロジェクト名ともいわれているが、詳細は謎の所が多い。(※→核ミサイルではなく、原子力で飛ぶミサイルらしい。何を言っているのか……)
1954年に提案されたスペックは重量70トン、主砲が105ミリ、前面装甲は350ミリであったといわれ、ごく大雑把に比較するとドイツ重戦車ティーガーに近い、強いて言えばやたら分厚い重戦車である。だがこのデカさで驚くなかれ、500時間ノンストップ&無補給で走ることができるのだ。平均時速を控えめに10kmと見ても、5000kmの航続距離がある。中戦車であるM4シャーマンの燃費がリットルあたり100メートル(0.1km)とも言われていた時代にこのスペックは脅威というほかない。ただ、この時点では「こういうプランもあるぞ」という仮説に過ぎなかったことを申し添えておく。構想するだけならタダだしね。
だが、アメリカは本気だった。1955年に開かれた会議の席上、ただの仮説だったTV-1計画が中戦車・仮称「R32」としてブラッシュアップされ、颯爽と登場したのである。「技術革新により大幅な小型化が可能!」とセールスマン?が言ったのだろうか、こちらはかなり現実的なもので、同時代のM48パットンとほぼ同等の重量50トンとコンパクト化に成功。90ミリ砲を主砲とし、前面の装甲は120ミリ、傾斜を加えて他の中戦車と同レベルの装甲を実現した。原子力機関積んでるのに他の中戦車と同レベルでいいのだろうか。
さて、気になる燃費は……な、なんと、一回の補給で4000マイル、すなわち6437キロメートルである。この数値はアメリカ大陸を余裕で横断可能、なんならメキシコあたりに寄り道してもOKである。日本で言うと、北海道最北端・宗谷岬から鹿児島県最南端・佐多岬まで行って、もう一回宗谷岬まで行ける距離である(※道路使用)。卑近な例で言うと、40リットル入る車だと考えれば……リッター160キロメートル、と考えるとその凄さが分かるだろうか。プリウスもビックリの超エコカーである。
20km走ればドラム缶一個が消える時代に、たった一度の補給で6500km弱も走る夢の戦車……なんと一時期はM48パットンを置き換える構想まで出ていたそうな。しかし6500kmを走るどころかあっという間に被爆するので乗務員は頻繁に交代する必要があった。6500kmぶっ通しで走ったらいったい人体はどうなってしまうのか……想像するだにおぞましい。
議論自体は1959年ぐらいまで続いており、予定ではM103重戦車にも積みたいとか議論されていたらしく、一部には改造するための図案や模型も作られたという。が、どう考えても上記の問題は解決される見込みがなく、計画は立ち消えとなった。計画したこと自体正気を疑うが、それはそれ。
ちなみにライバルのソ連では原子力戦車という発想はなかったそうな。鉛筆と同じ理由だろうか。その代わり、重戦車(T-10、開発名IS-8)に原子炉を載せて、どこでもエネルギー補給ができるようにしよう(※発電所が破壊され、動かなくなった電化区間の鉄道を復帰させる等)、という計画はあったらしい(ТЭС-3)。つまり動く原発である。原子力モバイルバッテリーとも言えるだろう。いったい何回スマホ充電できるんだろう……。
その見た目は「キャタピラの上に家を建てた」というシロモノ(ТЭС-3で画像検索してみよう)であり、「戦車の上に百貨店を作るな」と言ったスターリンおじさんが存命であればどのようなコメントを残しただろうか気になるブツ。しかもこのТЭС-3、後継機のТЭС-7やТЭС-8まで予定されていたらしい。
こちらは1961年に試験が行われたらしいが、結局うやむやになって80年代に消えたとされる。って試験やったんかよ。
後にも先にも、陸上で原子炉を運ぶなんてことを本当にやっちゃったのは偉大なるソビエト連邦だけだったというお話である。
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最終更新:2024/12/26(木) 23:00
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