小川淳司(おがわ じゅんじ、1957年8月30日-)とは、千葉県出身の元プロ野球選手(外野手)である。現在は東京ヤクルトスワローズのゼネラルマネージャーを務める。
| OB | |
|---|---|
| 小川淳司 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | 日本 |
| 出身地 | 千葉県習志野市 |
| 生年月日 | 1957年8月30日 |
| 身長 体重 |
186cm 89kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 外野手 |
| プロ入り | 1981年ドラフト4位 |
| 引退 | 1992年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 監督・コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
習志野高等学校、中央大学、河合楽器を経て、1981年ドラフト4位でヤクルトスワローズに入団。主に対左投手用の代打要員、守備要因として起用され、11本塁打を3回記録。
1992年、角盈男との交換トレードで日本ハムファイターズに移籍し、この年で引退した。
スカウトとしてヤクルトに復帰した後、1996年~1998年まで二軍守備走塁コーチ、1999年から2007年まで二軍監督を歴任。
2008年からは一軍ヘッドコーチを務めていたが、2010年シーズン途中、極度の成績不振から前監督の高田繁が辞任したため、急遽監督代行に就任。アーロン・ガイエル、ジェイミー・デントナをレギュラーから外し、ジョシュ・ホワイトセルの獲得をはじめとしたレギュラー選手の積極的な入替を行い、最大19あった負け越しを完済し、貯金を4とした。
チーム再建の手腕を評価した球団は、2011年からの正式な監督就任を決めた。
その後ヤクルトは2年連続でAクラスとなっていたが、2013年、2014年と2年連続で最下位に低迷し、2014年オフに退団した。その後ヤクルト史上初のシニアディレクターに就任した。
| 通算:11年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 二塁打 | 三塁打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 940 | 1897 | 1747 | 203 | 412 | 66 | 7 | 66 | 195 | 13 | 24 | 12 | 108 | 6 | 406 | 28 | .236 | .281 |
| 年度 | 球団 | 順位 | 試合 | 勝利 | 敗戦 | 引分 | 勝率 | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2011年 | ヤクルト | 2位 | 144 | 70 | 59 | 15 | .543 | クライマックスシリーズ敗退 |
| 2012年 | 3位 | 144 | 68 | 65 | 11 | .511 | クライマックスシリーズ敗退 | |
| 2013年 | 6位 | 144 | 57 | 83 | 4 | .407 | ||
| 2014年 | 6位 | 144 | 60 | 81 | 3 | .426 | ||
| 2018年 | 2位 | 143 | 75 | 66 | 2 | .532 | クライマックスシリーズ敗退 | |
| 2019年 | 6位 | 143 | 59 | 82 | 2 | .418 | ||
| NPB:6年 | 862 | 389 | 436 | 37 | .482 | Aクラス:3回、Bクラス:3回 | ||
なし
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最終更新:2025/12/11(木) 18:00
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