江戸時代以降、人口の増加や幕府・藩の財政の確保の必要性から新しい土地の開発が必要になった。そのため幕府の命により新田開発が行われた。
つまり「新田」とは江戸時代以降に開拓された土地のことを指し、安土桃山時代までに開発された土地は「村」と読んで区別していた。「新田」と「村」の区別がなくなるのは1889年(明治22年)の市制町村制施行以降である。それ以降に開発された土地は「開拓地」と呼ぶ。
新田には大きく、官営の新田(幕府主導の「代官見立新田」や藩主導の「藩営新田」)、寺社営の新田(寺社が主導で開拓した「寺社新田」)、民営の新田(江戸時代以前の豪族が開拓した「土豪開発新田」、村人たちが協力して開拓した「村請新田」、有力な商人が人を雇って開拓した「町人請負新田」)などに分けられたが、開発主体の違いだけであり、大きな差はない。もちろん新田開発には幕府の認可が必要であり、勝手に開拓をしていたわけではない。
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最終更新:2024/05/01(水) 23:00
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