「真柄直隆」(まがら・なおたか 1536 ~ 1570)とは、戦国時代の越前国朝倉家に仕えた五尺三寸(約175センチ)の太刀「太郎太刀」を振り回す怪力無双の勇将であり、朝倉家中でも武勇に優れた猛将。
※弟「真柄直澄」は史料が少なく、太刀の銘等「真柄直隆」と重なる部分が多い為同一人物とする場合もある。
越前国の真柄荘の国人として朝倉氏の客将となった剛勇を誇る怪力無双の武将。
その剛勇ぶりは、『朝倉始末記』によると足利義昭が朝倉義景を頼って一乗谷に来た際に、御前で二本の大太刀を軽々と持ち上げた上、頭上で十数回振り回したとされている。
※嫡男・真柄隆基は、黒い卵形の大石を空へ投げること十数回と言う剛勇無双の武者とされている。
得物は越前の刀匠「千代鶴」作の五尺三寸(約175センチ)の大太刀「太郎太刀」で、自慢の太刀を振り回して戦場で無双乱舞していた。
なお別の説では、七尺八寸 (約2メートル40センチ)と言うどこぞの「竜殺し」な太刀であったとも言われている。
※息子の真柄隆基は、四尺七寸(約140cm)の太刀「次郎太刀」を使用した。
織田信長と朝倉義景の間で発生した姉川の戦いに参加して徳川家康の軍を相手に奮戦し、一騎で駆けてきたホンダムとも打ち合い、単騎で無双して戦線を支えたものの、味方が敗走を始めると、それに乗じて追撃を試みる徳川軍に対して立ちふさがり、自慢の大太刀「太郎太刀」を振るって阿修羅の様な活躍により味方を撤退させる事に成功する。
しかし、真柄直隆自身は、徳川家の匂坂三兄弟らとの激戦の末に力尽き、
今はこれまでなり、我が首を取って男子の本懐とせよ
と言って大太刀を投げ捨てて自ら首をとられたと言う。
その後、真柄直隆を討ち取った匂坂三兄弟の刀は、「真柄斬り」と名づけられた名刀となった。
姉川で共に戦ったのは弟なのか息子なのか、そもそも真柄直隆と真柄直澄は同一人物なのではないかといったかたちで話は錯綜しているが、姉川の戦いで真柄と呼ばれる武将が参加して徳川軍に立ちふさがり、賞賛されるだけの活躍を見せた事は確かである。
真柄直隆死後、自慢の「太郎太刀」jは、熱田神宮宝物館に今も所蔵されている。
▼「伊織立志伝」にて水瀬伊織と浅井長政の敵として登場。「鬼真柄」「今奉先」と呼ばれていた。
▼純朴かつ愛嬌ある脳筋マスコットキャラと化している「あずさの天下創世」・・・趣味は蒲公英の栽培て・・・
※そのうち・・・朝倉家のぽぽたんとか言われるようになるんだろうか・・・
▼「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」には、真柄直隆をモチーフにしたと思われる真柄太郎左衛門直高というキャラクターが登場する。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 65 | 戦闘 | 86 | 智謀 | 30 | 政治 | 20 | 野望 | 41 | ||||
天翔記 | 戦才 | 160(A) | 智才 | 60(C) | 政才 | 42(C) | 魅力 | 55 | 野望 | 42 | ||||
将星録 | 戦闘 | 84 | 智謀 | 45 | 政治 | 24 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 50 | 戦闘 | 78 | 智謀 | 38 | 政治 | 15 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 72 | 智謀 | 15 | 政治 | 6 | 野望 | 46 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 74 | 知略 | 13 | 政治 | 4 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 72 | 知略 | 13 | 政治 | 4 | 教養 | 9 | ||||||
革新 | 統率 | 51 | 武勇 | 92 | 知略 | 15 | 政治 | 5 |
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最終更新:2024/05/04(土) 02:00
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