第二次ソロモン海戦単語

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第二次ソロモン海戦とは、大東亜戦争中の1942年8月24日から翌25日にかけて生起した大日本帝國海軍vsアメリカ海軍戦闘である。連合軍側の呼称は東部ソロモン戦。

概要

背景

1942年8月7日、大艦隊に護衛されたアメリカ軍の第1兵師団約1万3000名はガダルカナル島(ガ)とツラギに上陸。ツラギ守備隊を粉砕し、ガダルカナル島で建設中だった飛行場を奪取する。急報を受けた帝國海軍からの反撃を行い、第一次ソロモン海戦では連合軍の重巡洋艦4隻を討ち取った。しかし物量に勝るアメリカ軍を止めるには至らず、絶えず増援が送られた。最前線ラバウルに展開している日本側の戦は第8艦隊しかなく、潜水艦に至っては僅か5隻しかいなかった。そこで本土で訓練中だった第3艦隊(翔鶴瑞鶴隼鷹飛鷹龍驤)と第11戦隊(比叡霧島)、第7戦隊、第8戦隊駆逐艦給油艦などからなる29隻で機動部隊を編成。まず8月11日近藤竹中将率いる第2艦隊が出撃し、8月16日南雲忠一中将率いる第3艦隊が出撃。前線への足がかりであるトラックに向かわせた。

トラックへの入港を前に控えた8月20日ショートランドを出撃した九七式飛行艇がガの南東250里に空母1隻を含むアメリカ艦隊を発見。この敵空母とは、ヘンダーソン飛行場に海兵隊用の航空機を運んでいた護衛空母ロング・アイランドだった。トラック入港を取りやめ、機動部隊は南下を開始した。一木支隊を乗せてガ急行していた第2悌団(輸送3隻と第2戦隊)は北方へ退避し、入れ替わりに機動部隊がガへ走った。先発してトラックに入港していた第2艦隊も出撃し、翌21日に機動部隊と合流。その後もツラギ空母発見の報や、ガ守備隊からも敵艦上機飛来の報告が寄せられ、ガに敵空母が潜んでいるのは疑いようがかった。ガでは、フレッチャー中将率いる第61任務部隊(空母サラトガエンタープライズワスプ基幹)が上陸支援を行っていた。ロング・アイランドが発見された事で日本の機動部隊が迫っていたが、日本側は索敵機にも空母発見以外の電報告を禁じていたため、第61任務部隊は接近に気付いていなかった(ちなみにロング・アイランドは任務了後、足に去っている)。8月23日、ガ北方域に到達した日本機動部隊は索敵機を放って敵の捕捉に努めた。しかし第61任務部隊東方域に移動しており、発見できず。対するアメリカ軍午前8時にガへ向かっている第2悌団を中のカタリナ飛行艇が発見。正午過ぎにサラトガとヘンダーソン飛行場から攻撃隊計65機を発進させたが、不良に阻まれて逃している。日本の機動部隊トラック北方にいるとの情報が入っていたため、フレッチャー中将は同日午後にワスプを燃料補給のため南へ後退させた。夕方、サラトガの攻撃隊をヘンダーソン飛行場に移して待機させた。

日米航空対決

8月24日午前2時、機動部隊から空母龍驤重巡利根駆逐艦時津風天津風を支隊として分。ヘンダーソン飛行場攻撃へと向かわせた。異説では重な翔鶴瑞鶴を守るため、龍驤を囮にしたとしている。午前4時15分、機動部隊は索敵を行ったが、敵機動部隊を発見できず。に第61任務部隊も索敵したが、発見できなかったためヘンダーソン飛行場に出したサラトガ艦載機を呼び戻している。空母の前面に展開している第2艦隊も索敵に努め、水上機母艦千歳や第5戦隊偵15機が発進。しかし発見できなかったばかりか、一時は味方の本隊すら見失ってしまい、別の偵で探し出す羽になった。午前7時5分、サンタクルーズヌデニから出撃した哨戒機が、第61任務部隊の北西280里を航行中の支隊を発見。午前10時29分、この情報偽を確かめるためエンタープライズから500ポン爆弾搭載の索敵機が発進した。

続く午前10時48分、ガ北方200里に到達した龍驤零戦6機と九七式艦攻6機からなる第一次攻撃隊を発進させ、遊撃隊として零戦9機に後を追わせた。アメリカ哨戒機が、龍驤北方100kmに翔鶴瑞鶴がいるのを確認したが、フレッチャー中将には届かなかった。頃にヘンダーソン飛行場上に到着し、60kg爆弾36発を投下。迎撃に現れた敵機と交戦する。零戦2機と艦攻3機を失い、2機がヌダイへ不時着。アメリカ側はF4Fグラマン4機が撃墜された。午前11時30分には第二次攻撃隊が出撃したが、時同じくしてサラトガからも攻撃隊が出撃。支隊して突撃を開始する。攻撃隊の収容地点に向かっていた支隊は敵飛行艇にも発見され、午後からしい攻撃を受ける羽になる。ヘンダーソン飛行場とサラトガから数の敵機が殺到し、支隊に襲い掛かる。午後12時55分、B-17爆撃機2機が龍驤に攻撃したが全て外れる。実はこの時、龍驤には直掩機が展開しておらず、艦戦が発艦したのはB-17が飛び去った後だった。天津風の艦長は同期である龍驤副長に対して「失礼ながら艦は飛行機準備・発進攻撃ともに手ぬるい」と手旗信号で苦言を呈している。13時50分、龍驤SBD艦爆30機とTBF撃機8機に襲われ、回避運動むなしく左舷中央部に1本の魚雷が直撃。至近弾多数を受けて浸傾斜し、攻撃隊の収容が不可能になった。更にB-17爆撃機3機にも襲われたが、こちらは命中弾は出なかった。利根にもSBD7機とTBF2機が向かったが、被害皆無だった。14時、支隊は北方への退避を始めたが、龍驤の傾斜が20度に達して航行不能に陥る。帰投してきた攻撃隊は面へ不時着を強いられた。

一方、翔鶴瑞鶴を基幹とする機動部隊では、過ぎに索敵機から「敵の大部隊発見、戦闘機の追跡を受く」との通報が入った。間もなく索敵機は音信不通となった(3機とも撃墜された)ため、推定位置に攻撃隊を向かわせる事にした。翔鶴瑞鶴から零戦10機、九九式艦爆27機が発進した。正午過ぎ、エンタープライズの索敵機が支隊と機動部隊本隊の位置情報を第61任務部隊通報。続けざまに翔鶴へ2機のドーントレスが襲い掛かったが、被害皆無に終わった。機動部隊発見の報は護衛艦には届いたが、通信状態が悪くて母艦エンタープライズには届かなかった。やむなくサラトガ攻撃隊へ中継されたが、これも届かなかったという不運に見舞われている。14時過ぎにステワート諸東南東で二群に分かれた敵機動部隊を発見。敵空母エンタープライズ(護衛艦艇は戦艦1隻、巡洋艦2隻、駆逐艦7隻)とサラトガ(戦艦1隻、巡洋艦駆逐艦10隻)である。日本機動部隊を攻撃するため、攻撃隊を発進し終えた直後だった。敵はレーダーによって攻撃隊の接近を察知しており、F4Fグラマン53機を上に待機させていた。翔鶴隊(艦爆18機と零戦4機)は猛然とエンタープライズ隊に突撃し、しい対空砲火をかいくぐって2発(3発とも)の命中弾と2発の至近弾を与えて中破させた。瑞鶴隊(艦爆9機、零戦6機)はサラトガ隊を攻撃したが、こちらの戦果はかった。エンタープライズ真珠湾に後退させたが犠牲も大きく、艦爆17機と零戦3機を喪失。4機が不時着し、13機が母艦に帰投しただけだった。続いて第二次攻撃隊(零戦9機、九九式艦爆27機)を発進させたが、本隊からの針路修正電報を受け取れなかったがために敵を発見する事が出来ず、日に伴って帰投した。更に母艦行動変更も伝わらなかったので、4機の艦戦が行方不明になり1機が燃料切れで不時着した。

翔鶴隊と瑞鶴隊の攻撃を受ける前に飛び立ったエンタープライズサラトガの攻撃隊は、空母めて洋上を飛行していた。しかしなかなか空母が見つからず、帰りの燃料が気になり始めた。15時、機動部隊に前衛艦隊から「敵大部隊見ゆ」との報告が入ったため、第11戦隊(比叡霧島)、第7戦隊(鈴谷熊野)、第10戦隊(長良)に夜戦を命。南下を開始し、支隊の第8戦隊もこれに加わる事になった。第2艦隊に臨時で編入されていた戦艦陸奥も参加しようとしたが、速が低すぎたため護衛の駆逐艦を付けた上で置いてかれた。16時攻撃隊はステワート諸北方70里で行動中の第2艦隊(水上機母艦千歳戦艦陸奥重巡妙高羽黒)をようやく発見。急降下爆撃機12機が千歳を攻撃した。千歳零式水上観測機4機で抵抗したが、多勢に勢。2発の至近弾を喰らい、両舷機械室に浸して左舷機械が使用不能。右舷に火災が発生し、機も故障して中破させられる。人力で何とかトラックに後退し、一命を取り留めた。18時頃、マライタ北方でかろうじて浮いていた龍驤沈没。同時に第61任務部隊は補給と修理のため南方へと退避し始めた。日本側は追撃しようとしたが、翔鶴及び瑞鶴攻撃隊の損しく、哨戒機の触接も断たれてしまったので北上。こうして8月24日戦闘は終結した。この日の戦闘アメリカ軍は22機を、日本軍は59機(零戦30機、艦爆23機、艦攻6機)を失った。

8月25日、第2悌団はガ150里の地点に到達。しかし午前6時頃にヘンダーソン飛行場を発進したSBD8機の襲撃を受け、輸送丸が被弾して炎上航行不能に。護衛の巡洋艦神通も直撃弾を受けて大破してしまうが、鎮火に成功。丸の救助に当たった駆逐艦睦月B-17爆撃機3機が襲撃し、機械室が被弾。午前9時40分に沈没してしまい、丸も処分された。団には上支援く、更なる攻撃を受ければ壊滅の危険性もあるため揚陸を断念。生き残った艦ショートランドに退却した。以降、輸送による兵輸送を諦めて駆逐艦を使った輸送を行う事となった。

その後

ガダルカナル島に一木支隊の増援を送る作戦は失敗に終わった。空母3隻が護衛についていたにも関わらず輸送に失敗した事に陸軍は不満を覚え、陸海軍との裂が更に広がってしまった。アメリカ軍は既にガ基地航空隊と機動部隊の連携システム確立させており、それを思い知らされた結果となった。

ただアメリカ軍も決して楽観視できる状態ではなかった。戦によって損傷したエンタープライズ真珠湾へ後退。8月31日サラトガ伊26潜に撃されて中破、9月15日にはワスプ伊19潜に撃沈されてしまい、空母の稼動数を急に減らした。突貫工事で何とかエンタープライズを戦線復帰させたが、続く南太平洋海戦で再度ドック送りにされ、相方ホーネットは喪失。一時的に稼動数はゼロになった。

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