ステルス神保家とは、富山県民の悲劇である。
概要
「信長の野望」シリーズでは越中の武将の代表枠として富山城の神保家が毎回登場しているが、
- 弱小勢力である(いつの間にか滅ぼされている)。
- 登場武将の微妙な能力値(高過ぎも低過ぎもしない。ネタにすらならない)。
- 周囲に朝倉家・上杉家・本願寺と有名どころが揃っている。
- そもそも神保家って何かしたの?
越中の武将
せっかくなので戦国時代の越中に登場した有力勢力・武将を紹介してゆく。
このページを見て地味だと言われる越中の武将について興味を持っていただけると幸いである。
神保家
言わずと知れた空気大名。一度壊滅しかけてから復興したり、上杉謙信に何度も戦いを挑んだりと結構頑張ってはいるのだがいまいち知名度が低い。
神保慶宗
1500年〜20年頃の神保家当主。一向宗と結びついて神保家を発展させたが、下克上の体現者・長尾為景の恨みを買って殺された。この時神保家は一旦壊滅状態に陥る。
神保長職
1520年〜70年頃の神保家当主。武田信玄と同盟を結び、越中の覇権をかけて椎名康胤と争った。
該当記事参照。
神保長住
長職の長男。一時越中を追放されて浪人となっていたが、織田家の越中侵攻の指揮官に起用されて上杉支配下となった越中に飛騨側から攻め入った。
神保長城
長職の次男。父の死後家督を継いで上杉謙信と戦ったが、居城の増山城を陥落させられている。
小嶋職鎮
寺嶋職定
神保家の外交官として活動していた。一向宗との関わりが強かったことから反上杉路線を主張したため神保家から追放されてしまう。
神保氏張
神保家の庶流だが、佐々成政に仕えて神保家の数少ない生き残りとなった。後には徳川家康の旗本として仕え、彼の子孫が東京の「神保町」の由来になったと言われている。
椎名家
越中東部(新川郡)を支配した家系。良くも悪くも隣国越後の長尾(上杉)家の影響が強い。
椎名慶胤
神保慶宗と同世代の武将であり、同じく長尾為景の攻撃を受けて死んだ。
椎名長常
該当記事参照。
椎名康胤
該当記事参照。
土肥家
神保と椎名がしのぎを削った時代には活躍しなかったが、佐々成政の越中攻めに抵抗したことから歴史に名を残した。
土肥政繁
佐々成政の越中攻略に抵抗して戦い、敗れた後は上杉家に身を寄せた。
石黒家
先祖が倶利伽羅峠の戦いにも参戦している越中最古の武士団の一つで、福光(現南砺市西部)を拠点としていた。
石黒光義
瑞泉寺門徒衆に田屋川原の戦いで敗れ、没落したと言われる(戦いの実在性を疑問視する説もある)。
勝興寺
瑞泉寺と並ぶ越中における一向宗の二大拠点の一つで、現高岡市伏木に位置する。
瑞泉寺
越中における最古の真宗寺院で、越中における浄土真宗の拡大を担った。
追加希望。
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関連項目
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