トニー・ロイ単語

トニーロイ
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トニー・ロイ(Anton Ambrose "Tony" Roig )とは、元プロ野球選手である。故人。

概要

1927年12月23日生まれ。アメリカ合衆国ルイジアナニューリンズ出身。

1949年フィラデルフィア・フィリーズ契約1953年ワシントン・セネタース(現・ミネソタ・ツインズ)でメジャーデビューし、同年は3試合に出場。1956年には44試合に出場したが、その後はマイナー暮らしが続いていた。

1963年西鉄ライオンズに入団。ジョージウィルソンジム・バーマとともに豊田泰光が抜けたを埋める助っ人外国人としての入団であった。

初年度の1963年に4番ショートとして起用され、打率.250、21本塁打、81打点記録し、パ・リーグ制覇に大きく貢献。

1965年打率.295、22本塁打、77打点記録。同年、オールスターゲームに初めて出場している。

1966年、この年からサードでの起用が中心となり、打率.260、22本塁打、56打点記録し、サードベストナインにも選ばれた。なお、サードベストナイン得票数では国貞泰汎のほうが上回っていたが、貞がセカンドの得票数でも1位であり、加えてセカンドでの得票数のほうが多かったことから、貞はセカンドベストナインに、サードの得票数2位であったロイが繰り上げでの選出となった。

1967年にはキャリア最多の26本塁打を放った。

1968年高木喬らとのトレードで、清俊彦とともに近鉄バファローズへ移籍。近鉄では5番ファーストとして起用され、打率.240、18本塁打、58打点とまずまずの成績を残したが、同年限りで現役を引退

引退後、西鉄時代の同僚であったジム・バーマ推薦もあり、ミルウォーキー・ブルワーズマイナーチーム監督コーチを務めていたようである。

2010年10月20日、死去。享年82歳。

人物・エピソード

麗なグラブさばきと強打で活躍した内野手調子の波がしく、三振併殺打が多いなど粗っぽい面も立った選手である。

1963年優勝時には、ジョージウィルソンジム・バーマとともに「西鉄三銃士」と呼ばれた。

引退したら日本に永住してコメディアンになりたい」と語るひょうきん者でもあった。

通算成績

打撃成績

通算:9年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:3年 76 209 184 14 39 0 11 2 2 1 22 0 45 8 .212 .295
NPB:6年 779 3093 2829 316 721 126 418 29 12 22 214 16 563 62 .255 .309

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