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トニー・ロイ(Anton Ambrose "Tony" Roig )とは、元プロ野球選手である。故人。
概要
OB | |
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トニー・ロイ Tony Roig |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ルイジアナ州 |
生年月日 | 1927年12月23日 |
没年月日 | 2010年10月20日 |
身長 体重 |
193cm 83kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 内野手 |
プロ入り | 1948年 |
引退 | 1968年 |
経歴 | |
選手歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
1927年12月23日生まれ。アメリカ合衆国ルイジアナ州ニューオリンズ出身。
1949年、フィラデルフィア・フィリーズと契約。1953年、ワシントン・セネタース(現・ミネソタ・ツインズ)でメジャーデビューし、同年は3試合に出場。1956年には44試合に出場したが、その後はマイナー暮らしが続いていた。
1963年、西鉄ライオンズに入団。ジョージ・ウィルソン、ジム・バーマとともに豊田泰光が抜けた穴を埋める助っ人外国人としての入団であった。
初年度の1963年、主に4番ショートとして起用され、打率.250、21本塁打、81打点を記録し、パ・リーグ制覇に大きく貢献。
1965年、打率.295、22本塁打、77打点を記録。同年、オールスターゲームに初めて出場している。
1966年、この年からサードでの起用が中心となり、打率.260、22本塁打、56打点を記録し、サードのベストナインにも選ばれた。なお、サードのベストナイン得票数では国貞泰汎のほうが上回っていたが、国貞がセカンドの得票数でも1位であり、加えてセカンドでの得票数のほうが多かったことから、国貞はセカンドのベストナインに、サードの得票数2位であったロイが繰り上げでの選出となった。
1968年、高木喬らとのトレードで、清俊彦とともに近鉄バファローズへ移籍。近鉄では5番ファーストとして起用され、打率.240、18本塁打、58打点とまずまずの成績を残したが、同年限りで現役を引退。
引退後、西鉄時代の同僚であったジム・バーマの推薦もあり、ミルウォーキー・ブルワーズのマイナーチームで監督やコーチを務めていたようである。
人物・エピソード
華麗なグラブさばきと強打で活躍した内野手。調子の波が激しく、三振や併殺打が多いなど粗っぽい面も目立った選手である。
1963年優勝時には、ジョージ・ウィルソン、ジム・バーマとともに「西鉄三銃士」と呼ばれた。
「引退したら日本に永住してコメディアンになりたい」と語るひょうきん者でもあった。
通算成績
打撃成績
通算:9年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:3年 | 76 | 209 | 184 | 14 | 39 | 0 | 11 | 2 | 2 | 1 | 22 | 0 | 45 | 8 | .212 | .295 |
NPB:6年 | 779 | 3093 | 2829 | 316 | 721 | 126 | 418 | 29 | 12 | 22 | 214 | 16 | 563 | 62 | .255 | .309 |
関連項目
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