トヨタ・チェイサーとは、トヨタ自動車が1977年~2001年に生産をしていた中型の乗用車である。マークⅡやクレスタとは兄弟車となる。
概要
車名の由来は、英語で「追跡者・狩人」という意味から。初代モデルは三代目マークⅡの兄弟車として誕生。マークⅡよりも若々しい イメージを持たせた。そのためスポーティーグレードを全面に押し出していた。
また、取扱い販売会社のトヨタオート店(現・ネッツ店)では、マークⅡを取り扱っているトヨペット店にあるコロナやクレスタを扱っているビスタ店にあるビスタと言った、1800㏄のミドルクラスセダンを取り扱っていなかったので、チェイサーはその分廉価版の1800㏄をその代りとし、マークⅡ兄弟の中では、廉価版の1800㏄の売上が多かった。
駆動方式は基本はFRであるが、五代目以後は4WD仕様も選択が可能となった。
ボディは初代は4ドアセダンと2ドアハードトップであったが、二代目モデルは4ドアセダンと4ドアハードトップの二本立てであったが、三代目からは4ドアハードトップのみとなる。また初代から四代目までは教習車仕様も存在をしていた。
初代モデル・X30型&X40型(1977年~1980年)
1977年登場。マークⅡをベースにしながらも、前後デザインをスポーティーな雰囲気にすることによって、マークⅡと差別化を図る。
ボディは、4ドアセダンとこの代のみの2ドアハードトップが用意された。X30型がセダンで、X40型が2ドアハードトップとなる。
エンジンはガソリンエンジンのみで、直4気筒の1800ccと2000㏄、最上級グレードには直6気筒の2000㏄が用意された。マークⅡに存在をしていた直6気筒の2600㏄エンジンはチェイサーには用意をされていない。
イメージキャラクターには俳優・草刈正雄を起用し、若々しさをアピールをした。
二代目モデル・X60型(1980年~1984年)
1980年に初のモデルチェンジ。直線的なスタイリングとなる。バリエーションは4ドアセダンと2ドアハードトップの代わりに以後主力に なる4ドアハードトップも加わるようになる。エンジンは、ガソリンが直4気筒の1800㏄と2000㏄、直6気筒の2000㏄、新設定で直6気筒の 2800㏄、初のディーゼルエンジンの直4気筒の2200㏄エンジンも加わるようになる。ミッションは1800㏄のみ4速MTと3速ATとなり、後は 5速MTと4速ATが選択出来た。また、兄弟車にはクレスタも登場をし、マークⅡ三兄弟と呼ばれるようになる。
1982年マイナーチェンジ。前後デザインを押し出しの強いものとし、全てのエンジンも新開発のエンジンに転換をされる。直4気筒の2000㏄と 直6気筒の2800㏄が廃止された。ディーゼルも排気量も2400㏄にアップされ、ターボ無しとターボ付きの二種類が用意された。 ミッションも全グレードで5速MTと4速ATで統一された。直6気筒2000㏄には、スポーティーなツインカム24バルブ車が登場する。 これは当初は5速MTのみとなる。また、ディーゼルのターボ無し仕様は、5速MTのみとなる。
1983年にツインカム24バルブ車に電子制御式4速ATが追加された。
イメージキャラクターには、デビュー当初は居なかったが、途中で先代同様に俳優・草刈正雄が起用されたが、 マイナーチェンジ以後は俳優・夏木陽介を起用した。
三代目モデル・X70型(1984年~1988年)
1984年にモデルチェンジ。この代よりボディが4ドアハードトップのみとなる。マークⅡやクレスタと比較をすると、全長がやや短くして スポーティーさを出していたが、内装はゴージャスな雰囲気となった。これがハイソカーと言われるようになる。 エンジンは先代同様となる。また教習車仕様のみには、直4気筒1800㏄のLPGエンジンを搭載した。
1985年に直6気筒2000㏄にツインターボを搭載をしたモデルが登場。チェイサーには、ツインターボエンジンを載せ、装備を簡略化した グレードも存在をしていた。
1986年にマイナーチェンジ。フロントデザインを変更をし、各エンジンのパワーアップ化が図られ、教習車専用のLPGエンジンは排気量を 1800㏄から2000㏄にアップされた。ツインターボの廉価グレードは廃止となった。
1987年に東京都福生市周辺を営業拠点にしているトヨタオート多摩(現・ネッツトヨタ多摩)がオリジナルでチェイサーをオープンカーに したモデルが登場する。限定発売であったが、価格も450万円と高額であった。
この代は、ハイソカーブームをけん引をした型で、大ヒットを飛ばした型でもあった。
四代目モデル・X80型(1988年~1992年)
1988年にモデルチェンジ。この代では、これまでのスポーティーさから一転して上品さをアピールしたモデルとなった。 その一方で、1800㏄のミドルクラスの4ドアセダンがないトヨタオート店では、直4気筒の1800㏄車のグレードを充実をさせ、お得感を追及をしたモデルとなった。この代より教習車仕様が最後となる。最上級グレードのエンジンには直6気筒2000㏄のスーパーチャージャー が用意されていた。
1989年に直6気筒の3000㏄車が追加される。この時点で最高峰グレードとなる。
1990年にマイナーチェンジ。2000㏄のツインターボとスーパーチャージャー仕様が廃止となり、2500㏄エンジンが登場をする。 ターボ無しとツインターボ仕様の二種類が用意された。ツインターボモデルは足回りが貧弱で相当なじゃじゃ馬モデルであった。
この型も先代モデルに引き続き大ヒットを飛ばしたモデルでもあった。
五代目モデル・X90型(1992年~1996年)
1992年にモデルチェンジ。ボディが従来の5ナンバー幅から3ナンバー幅へと大型化がされたのと同時にシャーシとサスペンションを大幅に 刷新された。この刷新のお蔭で、ツインターボモデルは完成度を増し、スポーティーな走りが可能となった。
1993年に2500㏄車に4WD車を設定。雪国のユーザーにも受け入れられた。
1994年にマイナーチェンジ。フロントとリアデザインを刷新。
1995年に運転席エアバックを全グレードに標準装備化がされる。
バブル期に開発されたモデルだけあって、内外装の完成度が高く今でも走り屋に人気があるモデルでもある。
イメージキャラクターには当初のみ作家・村上龍を起用をしている。
六代目モデル・X100系(1996年~2001年)
1996年にモデルチェンジ。今まで同じようなイメージが強かったマークⅡ・チェイサー・クレスタはこの代より、きちんとしたキャラクター性を持たせるようになった。特にチェイサーの場合は走りのイメージを強調をし、全長もマークⅡ比較で50㎜短くをして軽快さを強調をした。 またチェイサーのみにはガソリンの直4気筒1800㏄車も用意されていた。この代も走り屋に人気があるモデルである。
1998年にマイナーチェンジ。前後デザインを刷新をし、直6気筒2000㏄がパワーアップ化がされた。
2001年に生産終了。
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- 1
- 0pt