ハビエル・サネッティ(Javier Adelmar Zanetti, 1973年8月10日 - )とは、アルゼンチンの元サッカー選手である。現役時代のポジションはDFまたはMF。愛称はカピターノ(キャプテンの意味)。
概要
1987年に13歳でインデペンディエンテの下部組織に入団。しかしインデペンディエンテでは評価されずに退団することとなり、1991年にプリメーラB・ナシオナル(2部)のタジャレスへ入団。ここで評価を高めたサネッティは1992年にバンフィエルドに移籍。2年間の在籍で66試合4得点を記録した。
1995年にイタリア・セリエAのインテルへ移籍。1995年に会長に就任したマッシモ・モラッティが最初に獲得した選手となった。移籍当初、サネッティはイタリア風の名前(サネッティは曾祖父がイタリア人のためイタリア系アルゼンチン人であり、Zanettiはイタリアの苗字である)のために他の選手と間違えて獲得したのではないかとジョークにされるほどであったが、1997-1998シーズンのUEFAカップ優勝を皮切りに次々とタイトルを獲得。1999年からはインテルのキャプテンとなりピッチ内外でクラブに貢献。年齢を重ねても決して衰えない力強い姿は「鉄人サネッティ」と呼ばれ、正真正銘のインテルのバンディエラ(旗頭)であった。2014年の引退までにインテルで合計16のタイトルを獲得し、セリエAに615試合に出場した。
現役時代の長所はそのキャプテンシーもさながら、力強いドリブル、様々なポジションをこなせるユーティリティー性、フェアプレー精神、40歳になっても決して衰えを見せなかった無尽蔵なスタミナが挙げられる。特にドリブルに関しては、まるでトラクターのように力押しで抜けていくことからネット上では「ゴリブル」と呼ばれていた。インテリスタ(インテルサポーター)からは勿論絶大な人気を得ており、ライバルのACミランのサポーターであるミラニスタからも尊敬を集めている。
代表
アルゼンチン代表には1994年にデビュー。2011年の代表引退までに143試合5得点を記録しており、同国代表の最多出場記録保持者でもある。
現役生活中にFIFAワールドカップは5度行われたが、サネッティは1998 FIFAワールドカップと2002 ワールドカップの2度しか出場できなかった。2006 FIFAワールドカップと2010 FIFAワールドカップのメンバー選外は物議を醸し、特に2010 FIFAワールドカップは大会前のシーズンであった2009-2010シーズンにインテルで3冠を達成する原動力となっていたため、大きな波紋を呼んだ。
個人成績
シーズン | 国 | クラブ | リーグ | 試合 | 得点 |
---|---|---|---|---|---|
1992-93 | ![]() |
タジャレス | プリメーラB・ナシオナル | 33 | 1 |
1993-94 | ![]() |
バンフィエルド |
プリメーラ・ディビシオン |
37 | 1 |
1994-95 | ![]() |
29 | 3 | ||
1995-96 | ![]() |
インテル |
セリエA |
32 | 2 |
1996-97 | ![]() |
33 | 3 | ||
1997-98 | ![]() |
28 | 0 | ||
1998-99 | ![]() |
34 | 3 | ||
1999-00 | ![]() |
34 | 1 | ||
2000-01 | ![]() |
29 | 0 | ||
2001-02 | ![]() |
33 | 0 | ||
2002-03 | ![]() |
34 | 1 | ||
2003-04 | ![]() |
34 | 0 | ||
2004-05 | ![]() |
35 | 0 | ||
2005-06 | ![]() |
25 | 0 | ||
2006-07 | ![]() |
37 | 1 | ||
2007-08 | ![]() |
38 | 1 | ||
2008-09 | ![]() |
38 | 0 | ||
2009-10 | ![]() |
37 | 0 | ||
2010-11 | ![]() |
35 | 0 | ||
2011-12 | ![]() |
34 | 0 | ||
2012-13 | ![]() |
33 | 0 | ||
2013-14 | ![]() |
12 | 0 |
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関連項目
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