ライプツィヒ(Leipzig)とは、ドイツ東部の大都市である。
概要
ライプツィヒは、ドイツ連邦共和国の東部ザクセン州の大都市である。人口は約52万人で、ドイツ全体では第12位。旧東ドイツ(ドイツ民主共和国;DDR)に属していた都市としてはベルリン、ドレスデンに次ぐ第3位。ザクセン州の州都ドレスデンとの人口差は殆どない。
日本語では「ライプチヒ」と表記されることも多いが、「ライプツィヒ」のほうがドイツ語の発音に比較的近い。「ライプツィッヒ」などと表記する者もいる。
音楽関係としては、バッハが長らく在職していた市中心部のトーマス教会およびそれに隣接するバッハ博物館、それから少し離れた所にあるメンデルスゾーン博物館や楽器博物館が有名。
ライプツィヒ中央駅は欧州最大規模の頭端式(ターミナル式)の駅である。ドイツ最初の本格的な都市間鉄道はザクセン内のドレスデンからライプツィヒまでの路線だった。路面電車なども整備されており、バスとともに市民の足として活躍。
ライプツィヒの歴史
ライプツィヒの始まりと都市名の由来
ライプツィヒのことを言及した最も古い文献は1015年に書かれたものである。
このときはスラブ語でurbs Libzi(ウルプス・リプツィ 「リプツィの城」という意味)と書かれた。
リプツィは菩提樹という意味である。
交通の要地で、商業が発展した
中世ヨーロッパを南北に縦断する道路が「帝国の道(Via Imperii)」で、
中世ヨーロッパを東西に横断する道路が「国王の道(Via Regia)」であり
ライプツィヒはこれらの道路の交差点に位置していて、ヨーロッパ屈指の商業都市として発展した。
ドイツで最も古くからメッセ(ドイツ語で見本市の意味)を行っているのがライプツィヒである。
Wikipediaによると、なんと1190年から始まり、共産主義時代も続き、現在も続けられているとのこと。
見本市という言葉を正確に定義すると、メーカーなど生産者が主体になり宣伝をする場所で、
参加するにはメーカーに招待される必要がある商品市、となる。
普通の市は消費者が主体で、招待状無しでも自由に出入りできるのだから、見本市はちょっと敷居が高い。
ライプツィヒのメッセで有名になったものは、マイセンの磁器とシュタイフ社のテディベア人形である。
ライプツィヒは交通の要地なので、やはりどうしても戦争が近くで起こりやすい。
日本の琵琶湖周辺は交通の要地なので壬申の乱や関ヶ原の戦いなど日本の運命を決める戦争が行われたが、
ライプツィヒもその点は同じである。1813年にライプツィヒ近郊で諸国民戦争が起こり、
フランスのナポレオン軍が敗退し、ナポレオン帝国はいったん終焉した。
学問と書籍の街
商業都市ライプツィヒには書籍も大量に持ち込まれ、売買された。
1481年にはライプツィヒで初めて本が印刷され、1650年には世界初の日刊新聞が刊行された。
ライプツィヒの商売敵である商業都市フランクフルトはカトリックの勢いが強く、検閲が厳しかった。
一方でライプツィヒはプロテスタントの勢力が強く、カトリックの検閲が及びにくい。
カトリックの検閲を受ける心配が無い出版業者が続々とライプツィヒに集まっていった。
18世紀にはライプツィヒがドイツ語書籍の中心地となっている。
書籍が大好きな学者たちにとってライプツィヒは聖地であり、ライプツィヒ大学は名門大学になった。
1912年にはドイツ国立図書館がライプツィヒに建設されている。
音楽の街
さらに集まってきたのは音楽家だった。バッハ、メンデルスゾーン、シューマンといった音楽家が住み、
19世紀後半のライプツィヒはウィーンやパリと並ぶ音楽の都としての地位を確立した。
ゲヴァントハウス管弦楽団は1743年に市民階級によって設立された。貴族が育てたのではなく、
商業に従事する市民階級が育てたというのがこの街らしい。
メンデルスゾーンは音楽学校を作った。日本の滝廉太郎もこの学校に通っている。
毎年初夏のライプツィヒではバッハ音楽祭が開かれる。
美術の街
美術品の交易が発展するに従い、美術品がライプツィヒに大量に集まった。
これを集めたのが1848年設立のライプツィヒ造形美術館である。
ドイツ有数の美術学校も存在し、若き日のゲーテもその学校で学んでいる。
1989年のベルリンの壁崩壊を導いた市民運動はこのライプツィヒで始まった。
共産主義時代は美術学校の美術家たちが「ライプツィヒ派」を形成し、作品中で暗に体制を批判していて、
それが民衆の間にも広がったのであった。
共産主義時代とその後
1945年から1989年までライプツィヒは共産主義の支配下に置かれることになり、経済が停滞した。
東西ドイツ統一のあとは経済力が落ちていることが露呈し、住民が旧西ドイツの地域へ流出している。
2005年にはドイツ連邦政府の後押しもありBMWがライプツィヒに自動車工場を建設した。
こうした努力があるが、まだ人口減が続いてしまっている。
住民があまりにも減ったので空き家が続出した。酷いところでは50%が空き家になった地域がある。
地元行政が空き家を破壊しようとしたが、歴史的建造物も多く、すべて壊すわけにはいかない。
そこで2004年に民間団体が「ハウスハルテン」という運動を始めた。空き家を無料で貸し出すという
この運動はなかなか魅力的なので、徐々に認知度が高まっている。
艦船名として
ドイツは海軍において、都市の名前を冠した艦船を作ってきた。
ライプツィヒの名も何度も巡洋艦の名に使われている。
中でも、第二次世界大戦時に活躍した軽巡洋艦ライプツィヒ(3代目)は知られている。
日本では艦船擬人化ゲームにもキャラクターとして登場しており、ニコ百に記事のあるのはこちら→ライプツィヒ(アズールレーン)
スポーツ
近年の明るい話題の1つは、ライプツィヒに強豪サッカークラブができたことだろう。
SSVマルクランシュタットという弱小クラブが金満企業レッドブルに買収されたのが2009年。
RBライプツィヒというチーム名に変更した。(レッドブルと名付けることができないのでRBとした)
手厚い支援を受けてドイツ5部リーグから昇格を重ね、2016~2017年シーズンには1部で2位に入った。
2017~2018年シーズンはチャンピオンズリーグで初勝利している。
日本の地方都市でも「Jリーグに加盟するクラブができると人口減が止まる」とよく言われる。
サッカークラブは町おこしに最適といえる。ライプツィヒにも同様の効果が期待できる。
関連項目
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